保護の拳骨

夜、ルーのみカレー、冷奴、味噌マヨきゅうり(さいごの1本、さすがにちょっとしなっていた)。香るエールをひと缶。いちにちおいてカレーがめちゃくちゃ甘くなっている。新玉パワーか。とかいって鷹の爪をぺろりしたら舌が焼けつくように痛い。豆腐で難を逃れてゆきます。

クルアンビンの新譜を聴く。

混んでる電車のなかで脚を組んだままにしているなすやろうは基本的に男のひとが多いが、今朝は女のひとがふたりならんで組んでいて、じゃまっけねえbyのび太ママだった。

自分はつねに表層から深層へのルートをたどっている気がする。深層から表層ではないことの弊害がそこにはある。かといって姿勢を矯正するのかといわれると躊躇するきもちがある。どっちがいいのかはしらないが、自分の癖みたいなものにひとまずは乗っかったほうがいいのではないか。なくしたほうがよい傾向もくさるほどあるが。


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7月になる。つかっている手帖にはプランニングリストみたいなのがあって、その月ごとに目標を列挙しているのだが、今月はもう「退職届をだす」ということしか書けなかった。ただただそれだけである。人生の節目のひとつである。会社という重力に左右されない生きかたをする。離れたところで、またさまざまな重力にとらわれるわけだけれども、とにかくそうする。内面をゆたかにするってそういうことなのではないか。いまやっているしごとにかかわる言葉のひとつひとつが、またべつの意味をもってわたしのからだのなかを通ってゆく。その反響音はながい時間のなかをさまようだろう。ひとまず退職願を来週に、だす。