プレッシャーいりません

あさまでメイビーを読んでいて思ったのは、自分の雑誌を見る目が変わってきているということだ。いちいちのデザインや見出しなどを、作り手として見ることができている。いまさら感があるが、そうなのだ。それはいいことだと思う。職務の身体化とでもいおうか。わたしはわたしのことを職能的には不能だと感じているが、その「職」を抜いたときの能としてはまあまあなんじゃないかと思っている(いったい何をいっているのか?

あさ、ぎょにそ、味噌マヨきゅうりを1本ずつと、ラーピーひと袋、チーズもひとかけ。夜ふかしの所為でゴミだしチャレンジを失敗しており、キッチンで上記のものを食べながら滂沱の涙をぎょるぎょるしている(なお、のちに窓の外からひびいてきた収集車の音を察するに、この時点ではまだ敗退が決まったわけではなかった)。きょうは午前から映画を観にいくつもりだったが起きそびれたのでだらだらして13時、さらには14時を過ぎてしまう。映画は明日はしごすることにして、今日は読む日にしようと決意する。ちんたら感。外から女児のひとり遊びの声がきこえてくる。話しかけられた父親の声は低くつぶれてしまってききとることができない。ちんたらしすぎて何も読まずに16時をむかえる。シャワーを浴びてスーパーへでかける。カレーが食べたいきもちがふくれあがり、もろもろの材料を買う。スパイス消費のために今回はルーなし。何年も前にイスラム横丁で買った小袋がまだ大量にのこっている。

フライヤーのデザインがほぼ完成したのでたんぶらーに画像といっしょにあげるテキストを書く。前回の公演のときから、3枚にも満たない程度のみじかいテキストを載せるようになり、それをしばらくつづけてみようと思ったのだった。これは公演の宣伝のためでもありながら、フライヤーを手にとるひとがデザインの背景をしるためのものでもあり、さらにはのちのちふりかえったときのための記録としても役立つものである。あまり構想もないまま書いていると、初期syrup16gの、もっといえば『COPY』の詞世界を下敷きに、デザインと作品の両方向に射程をのばしていくようなそんなものになっていった。こういうたぐいの文章を書くのはひじょうにたのしい。

「書く」と「グラフィックデザイン」でおまんまを食べながらアートスペース(自宅)の運営をして暮らしていきたい。これだ。こうやって自分のやっていきたい生活を言語化できるようになるためには、多くの経験や時間が費やされる必要があるのだなと思った。これを30までにうまいバランスで成立させたい。いまもめちゃくちゃ遠目から見ればそういう言葉であらわせるような生活をしているとはいえるのだが、いかんせんバランスがわるすぎて心身が失調状態にある。健康状態でそう生きたい。


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カレーとかいっておきながら、でっかいうまそなブリの刺し身があったのと豚キムチをつくるんだったということを思いだして献立を変えました、香るエールと銀河高原ビールも飲みました、カリカリ梅も食べました、カレーは明日の夜!


イキルサイノウ再現ライヴをゆーちゅーぶで観る。これは会場で観たもの。未来の名曲さに鳥肌が立つ。ライヴ行きたいね、、