段ボール、ボール、ル、段、段ボ、ボ

有名人のついーとにぶらさがってるリプライ見てると地獄みたいな気分になってくる

ここはついーとしなかったついーとを成仏させる場でもある。有名人にかぎらない。政治性が前面にでたものなどもそうであるが、そこに書いてある言葉への「読めなさ」、あるいは、はなからその言葉を見過ごして話者の党派や所属のみを相手どろうとする盲目性が、地獄の釜の蓋をあけたような感じでひろがっている。replyとは応答の意である。応答とは、応じ、答えることである。そこには他者がいる。他者の言葉がある。その言葉があって、はじめてreplyが成立する。地獄の光景には応答しようとするふるまいを見ることはできない。そこには言葉を投げる自身のすがただけがある。いや、それすらもないのかもしれない。読むことを軽視する姿勢にほとほと嫌な気分になる。

で、上で書いたことともつながると思うのだけれど、日記を書いてるひとは信頼できる気がする。生きる姿勢として、日記を書くことを選択しているひとを、わたしは好ましく思う。自分の抱える感情と向きあって、それをきちんと言語化しようとすることは、対話のための第一歩でもある。こんどから好きなタイプの話になったら「日記をつけているひと」っていってこうかな。これは自分がまいにち書いていく過程で気づいたことでもある。

干刈あがた『ウホッホ探検隊』を一気読みする。『猛スピードで母は』しかまだ読んだことがないけれども、長嶋有が好きなひとにはぜひ読んでほしいと思った。くわしくは読書の記事に書く。読みおえたのち、照明からぶらさがった電気のひもでシャドーボクシングをする。前回電気のひもでシャドーボクシングをしたのはいつか。そんな記憶はここ10年存在しない気がする。そう考えるとすごい気がしてくる。年月を隔てたおれのパンチを見よ! しかしこのひも、「電気のひも」以外にどう呼べばいいのだろう。

在宅勤務のなかで考えが深まっていったことのひとつに、自己の関心をいかにしごとのなかにとりいれていくかというのがある。半世紀ちかい世代的あるいは経験的断絶のなかで、わたしの興味と会社のすすもうとしている方向には根本からのずれがおおきく横たわっており、それをこちら側から向こう側へと踏み越えるのか、それともずれたまま並走するのか、あるいは袂を分かつのかと考えることは、日常的な課題、それもかんたんには解決できないものとして眼前に立ちふさがっている。会社に勤務していると、どんなにそのうごきに反発していたって流れに沿わざるを得ないことが多いわけであるが、こうして物理的な距離を置くことによってじっくりと「考える時間」が生まれ、それを行動に移すことができるようになった(たとえば、生権力についての企画提案という関心の開示)。

それにしたって自らの趣味性/専門性を食うことに直結させることのむつかしさは、いまのまま生きていかざるを得ない身としてはしばらく考えつづけなくてはならない。会社に属さずに、ものをつくって個人で食っていくことをはやく確立させたい。みんながみんなそういう風にして生きれたら、いろんな問題が解決すると思う(そうなるとインフラの担い手はいなくなる? いや、金銭的なインセンティブによって職業選択するひとがいるかぎりそんなことにはならないだろう)。これはネオリベ的な起業して生きていこうぜ!みたいなものとも紙一重の問題だと思うので、そこはよく考えなくてはならない。堀江が都知事になったらと思うとほんとうにぞっとする。レイシスト小池の再選もクソだし、わたしは反選挙主義者だけれども、それでもまともな、それでいてちゃんとたたかえるような候補者がでてくれることを願う/加筆:うつけん!


f:id:seimeikatsudou:20200524185406p:plain


通信制限下でもポッドキャストが聴けることに気づいてうれしくなった。音声メディアのありがたさ。そうするとはなからあきらめていたラジオの類も聴けたりするのだろうか。つぎ何かあったら試してみようと思う。YouTubeも静止画+音声のフォーマットのものなんかはさいしょにちょっと待てば再生されるのだよな。ただ、ポッドキャストやラジオはきくタイミングがむつかしいなとも思った。文字を読みながら聴くのはどっちも集中がとぎれてしまうし、寝る間際などはよさそうだが音もれを気にしてしまう。イヤホンを買えという話か。

コームの歯のあいだにつまった垢を掃除した。ぬるま湯にシャンプーを溶かして、そこでシャカシャカ洗うのがいいと検索したらでてきたので、いったんボウルに溶液をつくって漬けておいて、買いものにでかけた。今日はねこぢるT。さいきんバンドTばかり着ている。でかける場所がないので、これくらいしか着飾るたのしみがない。ニュージーランド産のお高めのバターを買う。高い食材を買うお金はないが、代わりに調味料にお金をつかって生活の華にしている。コームの汚れは歯みがきのCMのイメージ映像ぐらいよくとれた。

爪囲炎が悪化せずに快癒にむかっている。膿まなくてよかった。火傷の跡もぽろぽろとはがれてきており、ずいぶんとよくなってきた。隣家からきこえてくるギターの音は、生音だった。フォーキーなコード進行。歌も歌ってくれないか?