痛覚残留交流選手

なんだかんだ週にいちどは街へでている。昨週、映画館が閉まる前に、といっしょに映画を観に行った友人と、今日は書店へ連れ立ってでかけた。いよいよ書店も閉まってしまうのである。つらすぎる。それなりに混雑した店内をしばらくうろうろし、戯曲を2冊(ファスビンダーハントケ)、雑誌を1冊(HAPAX)買って、ちかくの喫茶店へ向かう。閉まっている店が多く、何店舗も店の前をはしごする羽目になる。ようやく入店したところも、短縮営業の張り紙がしてあり、なかもずいぶん空いている。2時間ばかし、珈琲/紅茶をすすりながら文学談義、コロナ談義、ファッション談義などをする。店をでると、キャッチのお兄さんたちに声をかけられる。こんな事態のなか、ほんとたいへんだと思う。先週の映画の帰りも、キャッチのお姉さんから、おちゃめな感じながらも「助けてください」と話しかけられ、つくづくほんとだよなと思った。「リキッドレインボウがやってきて 俺たちみんなを助けてくれる」。だれも助けてくれやしないが、自らを自らに捧ぐことはできる。

帰ってきて、先日の牡蠣の山椒オイル漬けがあまりにもおいしさをさくれつしていたので、今シーズンにどめのしこみをする。前回は1パックだったのを今回は2パックでやる(うれしいことに半額だったのである!)。量が増えているはずなのだが、火を通しすぎて見た目的にはあまり変わらない感じになってしまった。味がよければ問題なし、粗熱をとって瓶詰めし、山椒を3倍ぐらいに増やし、ごま油をなみなみ注ぐ。これからまいとしつくりたい。余らせた牡蠣はバゲットといっしょに夕飯として食す。すでにうまい。ビールをふた缶あける。


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これまたさいきょうにうまい玉ねぎスパイス炒め。クミンとパプリカパウダー、ニンニク、カイエンペッパー、ブラックペッパーで。塩気は塩に、風味づけとして中濃ソース、醤油を少量ずつ(ほんとはケチャップを入れたかったのだがあいにく切らしていた)。あまりものの豚肉も投下していますが玉ねぎだけでもじゅうにぶんのうまさ、ライムなどを絞ってもサイコーでしょうね


在宅勤務となって半月になるわけだが、通信制限の魔の手が忍び寄っている。事前にポケットwi-fiを支給してもらうべきだった。残り3ギガ。もって今週末が限度だろう。おれのインターネットが! オンライン飲み会どころかオンラインであることすらままならなくなる。

ハーバード大が発表した2022年までは外出制限が必要というようなニュースを見て、いよいよとんでもないきもちになってくる。そんななか、以前にも触れた読書会では海外の文献(アガンベン、ナンシー)を訳してくれる仏文学徒がいて、議論、というよりもコロナ禍をめぐる対話が継続しておこなわれている。2-3年前の読書ノートをひらきながら、応答する文面を書いていると、ひさしぶりに考えるたのしさがわきあがっていることにも気づく。情勢が思考を促すのである。

読書日記もそうですが、「読んだものを書くこと」(わたしの今月のテーマです)を習慣づけしなおそうと思っています。こうだらだらしていると、考える筋力がなまりつづけていろいろとおわる未来しか見えないのです。長い文章を書くことからもずいぶん離れてしまっているわけですね。そもそも、小説を除いては、そんなものを書いていたのは大学時代のわずかな時間しかないわけです。しごとにおいて、がっつりと介入する対談構成などはやっているともいいうるかもしれませんが、どうもそれを「やっている」としたくない。いうなれば、卒論的な知的営為(そんなものは目指されるものなどではけっしてありませんが)から離れた場所に現在のわたしはいるわけです。そこから山を登るのか、海へ向かうのか、しりませんが、とにかく穴でも掘ってみんべえかというのがいまのわたしの気分です。