そのちいさな椅子に凭れるようにしてきみは死ぬだろう

トイレットペーパーがいまだに買えずにいる。数週間ぶりにティッシュペーパーは購入できたが、トレペは遭遇できないまま月日が潰えていく。近隣のスーパーに入荷している気配はあるが、わたしが行く頃には陳列棚はもぬけの殻である。とぼとぼと家路につく敗残兵がうつむきながら路地に曲がろうとするとき、対面から歩いてくるファミリーのひとり、その片腕には白いビニールに透けて燦然とかがやくscottieの文字が!

書くことってたのしいなあとひさびさに思えている。推敲するたびによくなっていくのがわかる。その達成感は読み返すたびに減少するのだが、手を入れおえた直後にはぐっと手応えなぞを感じる。そんなのいつものことなのでどうにもならないだろうというおれもいるが、少なくともたのしさが持続しているのはしばらくなかったことなのでよい傾向だということにしておく。購入する本もはたらきはじめてからは人文書が大半だったのだがさいきんは小説がずいぶん多くなってきた。今日もエンリーケ・ビラ=マタスバートルビーと仲間たち』とインゲボルク・バッハマン『三十歳』を買う。ほんとはアンナ・ぜーガース『第七の十字架』を買いたかったのだが下巻が売り切れており、取りやめた、クリスティアン・ペッツォルト『未来を乗り換えた男』からの派生、昨夜テレンス・マリック『名もなき生涯』を観てナチスパワー(?)が高まっているのもある、だったらユベルマンプリーモ・レーヴィの積み本を読めよという声もあがる。


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ブックラブ、ラブブック、


名もなき生涯ははじめて観るテレンス・マリックで、魚眼レンズ的な広角の画づくりがおもしろく、ブツ切れと持続が入り交じったような編集点も興味深かった、神性を託された風景も多い。ただ無神論者、というか神云々にそこまで真剣に向き合ったことがないわたしのような人間にとってはやはり神の不在/くじけない信仰といった主題は入りこみにくい、これはさまざまなキリスト教的映画を観て感じることだ、ただ主人公フランツの自己の倫理に忠実であるさまには胸を打たれる、でている映画を観るたびに好きになるフランツ・ロゴフスキ、本作でもラブかった。

ながいながい会議を通過するたびにわたしは会社づとめに向いていないなと思わせられる。おのれの興味と関心だけに基づいて生きてゆきたい。心底そう思う。AIがしごとを奪うというが、奪われるに越したことはないではないか。そのぶんの時間と収益を分配してくれさえすればまったく問題ないではないか。しごとではなく、制作で食っていきたい、しごと=制作であるひとは幸福だよな、こんなことをしている場合ではないというきもちがどんどんふくれあがってゆく。

グラスをひっくり返し、カーテンに酒をぶちまけてしまった。しみにならないとよいのだが。ズブロッカをはじめて飲む。うまい。やっぱ草なんだよ。薬草ラブ。おすすめウォッカ募集中です。さいきんはギルビーあるいはウィルキンソンでブラディ・メアリばかり飲んでいます。トマトジュースはデルモンテ