アイキャント300d

日に日にどうにもならんなというきもちが積まれてゆく。酒と音楽しか救いがない。書くことも救いだったはずだが、作品に向ける気力がわかない、あらゆる意味でもっとバキバキになりたい。このまま死にたくない(丹羽良徳の『過去に公開した日記を現在の注釈とする:天麩羅』をさいきん読みすすめている(めちゃくちゃおもしろい! 日記はやっぱりいい!)のだが、しきりに「最後に人は死ぬ」ことが書かれている。


記録によれば、以上は300日以上前に書いた。この頃から比べればずいぶんと自らを救えるようになったと思う。書くことに立ち向かえているし、ろくでもないにんげんどもに費やす時間を減らしているからである。こんなこといいながらSNS中毒なのはどうにかしたほうがいい。キレ味が足りない。もっとスパスパにならなくてはならない。新宿駅を通過するとき、おれがスパスパの実を食っていたらなといつも思う。なめくさった野郎たちから最初に死に絶えてもらう。


朝から豪雨、室外機にぶち当たる雨粒がうるさい、いつになったらスニーカーをおろせるのか、雨が滴る箇所に芝生マットを敷いた、それなりの緩衝材として我が耳を守る姿勢をみせる、緩衝材に囲まれた人生、傷つかない人生。


おれはおとなだからなどと自分にいいきかせながらふるまうなんの役にも立たないやさしさを見殺しにすべきだ。精神がひきこもりの様相を帯びてきた、いちにちかけて数年使いこんだフライパンにこびりついた脂やコゲを削り落として再生した。よく熱した表面にやすりがけした所為で水疱が親指と薬指にできる。わたしはまぬけなのでスマホをつかむ拍子にそこに自らの爪を突き立ててしまう。皮が剥け、赤くなった患部。おれは新たに再生する。


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タイムラインに流れてた豚バラチチャロンをつくった、途中ででたスープは豚脂も足して油そば風素うどんに、うまかったです


村上春樹風の歌を聴け』を読みおえる。読んでいる最中、吉本隆明が何かしら書いていたのをおぼえているが、高橋源一郎村上春樹を通過していることをまず感じ、めっちゃいいじゃん!と思った。『ノルウェイの森』以外は短編ばかり読んでいたが、ある程度長さをもった作品のほうがいいのではという気になる、本数ぜんぜん読んでないくせに! 会話文の適当な相づちという跳躍板よってぐっと次なる地平へと飛躍していくさまがきもちよく、そう、それなんだよなというきもちになる。線的論理性などくそくらえでよいのだ、いっときいっときのさまざまなくぼみやふくらみを裸足のまなざしがなぞっていくときの感慨こそが読むことの快楽なのだ、というのは過言のおもむきをたたえているが、そのファシネイトに抗ってまで系統だって大系だったものを書いたり読んだりしたいと思わない。そんな性向をもっているからわたしはミステリを読まないのかもしれない。食わず嫌いはよくないのでいちどは読むべきだと思いつつ、、あとはジョン・バース『旅路の果て』を50頁ぐらいを読む。


読むついでに紅茶を1杯、ビールを2缶、ブラディ・メアリを2杯つくって飲む、家にこもっていると音楽をたくさん聴く、リリース以来まいにち聴いているSuiseiNoboAz「3020」の愚直でまっとうなエモさと、ゆたかなサンプリングにみちたsweet valleyのよさよ! モーメントジューン(Moment Joon)の待望のフルアルバムもヤバすぎである、「Stress ’1618」が大好きなのでいつかアルバムに収録してほしい、それともおれがしらないだけでなにかに入っているのだろうか。さほどくわしくはないが、モーメントは日本のヒップホップシーンのなかで断トツだと思う。


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