陰毛ネクスタンダード

横光利一を読んでいる。「時間」「春は馬車に乗って」「神馬」と立て続けに読んで、おもしろいと唸る。とくに「春は馬車に乗って」の死を看取る/受け入れる夫婦のセンチメントは胸に染入り、こうした会話をわたしも自作のなかで成立させたいと思う。今月末投げるものは115枚程度におさまるだろうという感じ、前作の方が断然気に入っているのだが、完成度は多少なりとも高くなっており、であればひとまず前回到達した一次以上にはいくだろうという確信がある。今作は次なる跳躍への踏み台として書きおえて、すでに筆を走らせている次作によって壁を突破したい。こんなことをうだうだいっているうちにはどうしようもならないこともわかっているのだが、かといってこうして自分を鼓舞でもしなければ書くことをつづけられない。横光は青空文庫で読んでいたのだが、ちょうど書店に岩波文庫が並んでいたので購入した。おもしろいものには対価を払いたいきもちと、気に入ったものは物理的にもっておきたい精神が発揮されている。

開高健をひきつづき読んでいる。連打される比喩表現にコピーライター由来の巧さをひしひしと感じる。「三時のアミダ」「アミダが助かる」という語が「巨人と玩具」にででくるが、何を指しているのか調べてもわからず、チョコレートをもらってお礼として発言していることと、三時の〜というからにはやはりおやつのことを指しているのだろうという安易な類推で解釈を落ち着かせた。本作は増村保造の手によって映画化されているようだが、映像映えするような作品だろうかと首を傾げる。かといって、『バーニング』のことを考えるとどんな原作も翻案次第ではすばらしい映像作品にしあがるのだということがいやというほどわかる。いつか観てみたい。

せっそうなく、小説に手をのばしている。1冊を読みおえるまえに、本棚におさまったいくつもの表紙をめくり、最初の一篇に目を通す。コレット青い麦』、多和田葉子訳のカフカ「変身」、村上春樹風の歌を聴け』、本谷有希子『静かに、ねぇ、静かに』、安部公房『燃え尽きた地図』をそれぞれ10-30頁くらい読んだ。このつみかさねがあたらしいわたしを形成するだろう。そうなるまでなんどもくりかえす、今年はあたらしいわたしになる。そのひとつの手段として、近代文学を身のうちに息づかせるというのがありそうである。

宣言として書いておけば、今年は毎月ひとつの10枚にもみたない掌編を書き上げながら、これまでに比べたらずいぶんと長い250枚ぐらいの作品をものしたい。掌編に関しては、黒沢清があるインタビューで若い世代の映画作家について触れていた箇所でいっていた「ジャンルものに対する意識」を念頭にやれればと思っている。


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長芋の唐揚げ、うますぎる、、左隣は茹でたささみをごまとマヨネーズとラー油で和えたもの、これに小松菜と卵の炒めものを追加し、缶ビールを3本飲んだ、今日はビールを飲む描写をおこなったために、3本飲んだのである