踏みつぶされたちゃちな外殻

いがらしみきお『i』を読みおえる。そこに書いてある言葉がわかるが、言葉でわかってしまえばそれは言葉に過ぎず、かといって言葉以外で「わかる」なんてことは起きえない。そこでくりだされる「言葉」が〈見ればそうなる〉だ。なることはわかることとちがう。なってしまう、なってしまっている。わたしたちはつねにそうなってしまっているのだ。この世に生まれ落ちてしまっている。生きてしまっている。息をしてしまっている。気づいたときにはすでになっている。ひじょうにわかる、と同時にこの「わかる」はちがう!と反発が起きる。この引き裂かれのはざまに立っているのが「i」であり、つまりはわたしであり、あなたである。なぜいまになってシュリンクをやぶる気になったかといえばこれまたミック・エイヴォリーのアンダーパンツを読みかえしていたからで、IMONの話とかめちゃくちゃおもしろいよなと思う。いがらしみきお、もっと読んでみたい。

作中の真っ黒な青空を目にして、秋亜綺羅『透明海岸から鳥の島まで』の遊び紙に描いてあった絵を思いだし、書棚からとりだしてひらいてみる。そうそう、これもいがらしみきおが描いてるんだよ。時期的にも連載時に被っており、どちらも震災がおおきな執筆の契機になっている。集中の「津波」という詩について、大学のときゼミで発表したことを思いだす。1篇の詩に対して全力でむきあうことをさいきんはしていない。詩にかぎらずだ。

奈良原一高展を世田谷美術館で。すべてがモノクロ化されることで失われるものがあった、とカラーの写真を観て思った。むろん得るものもあるわけだけれど。画面内の運動がおもしろいと思う。二階の工芸展で観た柚木沙弥郎の染色作品がよかった。ああいういい感じのラグがほしい。この頃は食器など生活雑貨に対する物欲が高まっている。先日も閉店セールをしている渋谷のコンランショップでいい具合に高揚したのだけれど、これだというものには出会えず何も買わずにでてきてしまった。


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毎年思いますがあざみ野フォトアニュアルはとてもよい企画展です


神聖かまってちゃんをさいきんよく聴いている。日本のバンドシーンにおいて、2010年代を代表するバンドは何かと問われればそれはかまってちゃんで、代表曲はもちろん「ロックンロールは鳴り止まないっ」しかないと思っているのだが、いかんせんアルバムを『英雄syndrome』しかもっていないというわけのわからない聴き方しかしてこなかったので、ひとまず新譜と『つまんね』『友だちを殺してまで。』をダウンロードする。正直どれも名盤とはいいがたいつくりで、これ以上掘ろうという気にもならないのだが、たくさんの少年少女を救ってきたんだろうなということはわかって、たとえばシロップやアートがその地位を占めていたとすれば、それがこうした直接的な言葉「学校に行きたくない」「死にたいな」にぐっとスライドしていったことにわたしは焦りのようなものを感じる。危機感といいかえてもいいかもしれない。

1月の映画の鑑賞本数は10本(うち劇場9本)。新作は2本しか観ていないがよいすべりだし。2010s映画ベストも選出しおえたのでそれぞれみじかいコメントを付したら10本ずつぐらいここにあっぷしていく予定。見渡してみると取りこぼしというかあれもこれも観ていないなあということが浮き彫りになってきもちのよわりを感じましたが、それはべつの方向からながめてみればオリジナルなラインナップになったのではということでもあって、そこまでわるいきはしません。また2009年の作品が2本もまじってしまったのですが、公開がずいぶんおそかったのでゆるしてほしいと先に謝っておきます。

さいきんはよくブログを書くようになり、いい風潮だと思う。もっとバンバン書けばいいんだ。救いは書くことなんだという思いをつよくしている。夜に自宅のスピーカーでさびしいうたを聴きながら、もっとやさしくなりたいと思う。これ以上やさしくなってどうするんだ? そうやって自分の首を絞めているにすぎないのに? 一昨日、胃腸炎明けではじめてビールをあけた。今日は香辛料のきいたものを食べた。完治。