耐えたあとに何が残るのと尋ねるまえに彼は逝った

学生の頃から愛用していたz623のウーファーが死んでしまったくさく、とてもかなしい。分解して直そうと試みたがパーツが外れずどうにもならない。重低音がやばいことのみが優れた点だったというのに……。

枕を買い替えた。包丁も買い替えた。どちらもスピーカーに負けず劣らず長らく使いこんできたものだ。ともに、誰が見ても、どこからどう見てもボロなので、ようやく、というきもちになる。わたしは愛着がつよい人間なので、、ずいぶんまえから財布もめちゃくちゃぼろぼろになってしまっており、買い替えたいがなかなかこれというものが見つからない。マクロマウロかわいいなとか思っていた頃の感性はもうもどってこない。

8月は1本も映画を観なかった。1月も0だったのだが、年にふた月も映画を観ない月があるのは、映画館に通うようになってからはじめての出来事だ。それほどまでに会社は個人の時間と精神を奪取し、破壊する。文化はこうして死に至る。


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反切表、と呼ぶ。日本における「あかさたな」は韓国では「カナダラ」が対応している


ハングルの勉強をはじめた。語の意味はわからないが、とりあえず読めるようにはなった。言語の勉強はたのしい。アプリやらwebの韓国語講座みたいなのですすめているが、せっかくだしメカス展の図録でやっていくかと思っている。妹が韓国好きなのでいっしょに勉強しようと誘ったのだが乗り気なのは初日だけで、早々に脱落していった。

7月末から自宅で自分の料理を食べる機会がほぼ消え去っていたのだが、やっと食べれるようになった。うれしい。ハッピー。自分の手料理が何にも増してもうまい、というのはいいすぎだが、クソみたいなコンビニ飯や会社近所の飯屋の百倍おいしい。ヤムヤムmyごはん。ラブラブmyごはん。