喉元をすぎた熱さは

 喉元をすぎた熱さはすごいいきおいでころがって、チリにまで届いた。路上に打ち棄てられたサルバドール・アジェンデ肖像画のなかでしばらくくすぶったのを見届けたあと、わたしはそれを拾おうとするのだがなかなかどうして一向につかまることがない。正しい転びかたがわからないとでもいう風にどこまでもすべっていくそれを追いかけてゆくのだが、わたしの手足はまるで漫画のように空を切りつづけ何匹かの羽虫がその過程で床に叩き落とされ絶命した。やがてわたしはくぼみか何かに蹴つまずいてつんのめり、そのままぐるりと前転して尻もちをついた。熱さは尻の下敷きになって途方もない厚さになり、その上にまたがってぐんぐんと高度をあげていくわたしはアンデスの隆々とした山肌のひとつひとつにいのちが息づいているんだと魂の奥底から感動する思いだった。このままずっと伸びてゆけば宇宙の星もつかめるのかと考えはじめた頃合いを見計らってか否か、厚さは薄さに変貌を遂げ、瞬く間にわたしは絶叫マシンの乗客になっていた。キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーという叫びが日常的には使用されない筋肉のうごめきによって口腔内から発され、それは熱さと同様にわたしの喉元の方にも響きわたり、やがてはチリにまで達し、アジェンデの口元から微かなモスキート音となって路行く人々の聴覚を刺激した。だが、その音が聞こえたのか聞こえなかったのか、通りがかったピノチェト派の荒くれたちに絵画は見るも無惨にぎたぎたにされ、突風によって乾いた空へとちりぢりになってしまった。わたしはそのいちまいがだれかの手にわたり、そこにひとつの信号を見るであろうだれかとのあいだに築く共犯関係のようなものを夢見ながら、今日もまたこの煮え立つ流体を顔の裂けめのなかに流しこんでいる。その動作をおこなう手たちのことを信じきることができたとき、はじめてわたしたちはこの熱さについて語りあうことができると、すりへって薄くなった敷物の上で汗をかいている。