離島から掘る貝の底値

風邪をこじらせて寝込んでいる。ふつうにつらい。することがないので気合いをいれて料理をつくったのだが食べるのはおれひとりである。自分のかかえるさびしさをかんたんに他人になげうってはいけないと思う。このブログもさいきんはすこぶるアクセス数が少なく、よく更新していた頃は平均してまいにち5-6人程度の集客があったのだが、いまは0-1人とかである。どちらにせよひとけがない。

こういう誰にも読まれない場所にだらだら長文を書くのが好きだし、そういうブログが大好きだ。PC環境があった頃(もう7-8年前とかだ)はそういったたぐいのブログをよく巡回していた。はてなダイアリーの新着から気になるタイトルの記事にアクセスし、おもしろそうなものだけブックマークに追加して読みすすめていた。たいていすぐ更新されなくなったり、ブログごと消えてしまったりするのだが、どこかに生きているみしらぬ誰かの、日常で培われる思考の流れがこうしてわたしの目に触れている、しかも誰も見ていないような個人のブログを通して何らかの関係性がそこに生まれる、そういうことにいちいち感動して、一生会うこともないだろうひとの生活に一喜一憂していた。


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韓国旅行記もこうやって途中でおわってしまうのだね、ジョナス・メカスはほんとうに最高だよ。イム・フンスンもよかったよ。あとパク・キョングンね。


誰の人生だって、ほかの誰かのために消費されるエンタメじゃないんだよ。でも、そんな人生が誰かを救うことだってあるんだよ。わたしの意志とはべつのところで、わたしが作用していくことに可能性やよろこびをおぼえる。輪切りになりたい、うつぶせのままスライスされたいとさいきん思うのはそうした欲望のあらわれかもしれない。

いまはスピッツを聴きながらこの記事を布団のうえで書いています。旧譜レコードリリースですーぱーテンションアガってたわりには、リアルタイムで新譜を買ったことがないかもしれない。好きなアルバムは『三日月ロック』と『スピッツ』です。こないだひさびさにいったカラオケで「大宮サンセット」を歌った。夕日なんてさいきんずっと見ていない気がする。

〈韓国文学のオクリモノ〉シリーズを読みすすめていこうと思います。