起草できる馬場にて

GWの収穫。小泉明郎「帝国は今日も歌う」@VACANT、ミヒャエル・グラヴォガー『ワーキング・マンズ・デス』@イメージ・フォーラム・フェスティバル2017。ともに今年のベスト級。前者の「いま目の前にしているものがよくわからないままにうちのめされる感」、この理解を超えた感動がなんらかの作品に対峙したときあらわれるものとして最上だと思っているのだが、ひさびさに感覚した、と思ったけれど先日DIC川村でマーク・ロスコの部屋に足を踏み入れたときも感じたのだった。自分がいま立っている(存在している)場がくずれはじめ、重力がねじれていくような作品自体の強烈さ。感情をゆさぶる強度が強度として迫り、身をぐらつかせる映像の力。現実がおそろしい、ほんとうにおそろしいと思わされた。マームとジプシー『COCOON』再演のときに感じた、いまわれわれが生きている時代/日本がもつ暴力をむきだしにしているように思った。皇居を撃つ作家の姿をみてうちふるえることを拒絶できない「わたし」の所在を考える。

後者も「この現実」にビリビリくるドキュメンタリー。世界の辺境ではたらく人々のすがたを、いったいこれどうやって撮っているの?(笑)というスタイル(カメラワーク、被写体との関係性、撮影者の不在感……)で映像に焼きつけた大傑作。ドキュメンタリー映画を観る際にまいかい考えるのは、これは映画として優れているのか、それとも映されている現実がすごいのかということなのだが、本作はその両輪がうつくしい調和のもとに、過酷さのなかで生きるワーキングマンたちの軌跡をちからづよく描きだしていた。ウクライナにある採掘禁止の炭鉱、インドネシアはイジェン火山での手作業による硫黄採掘、ナイジェリアの青空屠殺場、巨大船解体所inパキスタン、中国の近代化した製鋼所、ドイツのテーマパーク化されたかつての工場。すべて現代(撮影当時:2003-4年頃)の話であり、そこに生きるひとびとはわれわれと同じように家族があり、信仰があり、ボン・ジョヴィを聴き、歌をうたう(本作において、労働者たちはとにかく歌をうたう。それはひとつの生きぬくすべである)。鑑賞中は映しだされているシーン自体に驚嘆しっぱなしなのだが、とぼけたユーモアと「圧倒的現実」のつよさによってあぶりだされる資本主義の獰猛さ(どんなに末端の市場にもヒエラルキーが構成される……)にはとてもおそろしいきもちになる。

とりわけ注目すべきは、国家を支える労働者の、勇ましい弁舌がふるわれるソ連プロパガンダフィルムに、ジョン・ゾーンの高揚感あふれる音楽が重ねあわされることによって本作が始動することだろう(そして、このオープニングにより、観客はいまからはじまる映画が傑作であることを瞬時に理解する)。このような作品は、安全な地帯から映画を眺めるわれわれ観客が胸を撫で下ろすための映画になってしまってはいけないと思うのだが、ジョン・ゾーンの音楽は全編にわたり、その危うい回路を回避するための宣誓のように鳴りひびいていた。

パキスタンにおける巨大船の墓場は、2014年の横浜トリエンナーレでも題材にとられていた(ヤスミン・コビール)。原一男的ズームアップ、スローモーションが多用されたパワフルでエクスペリメンタルなその作品も印象深いものだったとグラヴォガーの映像を見ながら思いかえす。とはいえ『ワーキング・マンズ・デス』は、横トリのものとは異なり、そこではたらくひとびとの過酷さのなかのユーモア、使い古された鋼鉄のもつ崇高さ/無常感にスポットが当てられていたように思う。ちなみにエンドロールにではアウトテイクが使用されているのだが、ナイジェリアの屠殺場のシーンで豚の死体があらわれ、きみたちイスラム教徒なのにそんなことをしていいのかいとふきだしてしまった。

そのほか今年のイメージフォーラムフェスティバルではF(中村衣里『閉塞』/木村あさぎ『鱗のない魚』)、R(ミヒャエル・グラヴォガー『無題』)、T(ジョシュア・ボネッタ+J.P.・シニァデツキ『エル・マール・ラ・マール』)、U(ラティ・オネリ『陽の当たる町』)、J(ジム・モリソン『ドーソン・シティー』)プログラムを、展示では高木こずえ@αM、ジョージェ・オズボルト@タロナス、クリスタ・モルダー@kanzan gallery、椿会展@資生堂ギャラリーアブラハム・クルズヴィエイガス@メゾンエルメス、ダン・フレイヴィン@エスパス ルイ・ヴィトン、「待宵の美」@THE CLUB(GINZA SIX)なども観た。筆が乗れば後日触れようと思う。まあ、この記事をだらだら書いていた所為でもう5月も終盤なので乗らないでしょうね。ちなみにロスコは生で観るまではぜんぜんよさがわからなかった。対面してはじめて、モノとしてのプレッシャーの半端なさを実感し、感動した。

小林秀雄岡潔の対談(『人間の建設』)を読んで何をほざきちらしているんだこの老害どもはと呆れかえっていたのだが、『栗の樹』収録の「感想」を読みすすめるにつれてあ、小林秀雄はおもしろいかもしれないと思いなおし、そういえば安吾小林秀雄論を書いていたよなと『堕落論』をひっぱりだして読みかえすにこのアジテーションと野性味こそが! と鼻息を荒くする2017年5月夏日。

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排気口次回公演の仮チラシをデザインしました。
2017年8月末、新宿ゴールデン街劇場にて。
詳細含めた本チラシは来月公開予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。