思考断片

甲羅から縄

映画館が空いている。ファーストデーだというのに、平日昼間というのもあるだろうが、座席がスカスカだ。快適だ。街はそれなりにひとが出歩いている。退勤時間ともなれば駅には混雑の気配さえただよう。 先日書いた牡蠣のオイル漬け、しみわたるのを待ち、ま…

切除的判断

3月末なのに積雪する東京、15時頃でっかいホットケーキを焼いて紅茶をたしなみながら夜になるまでだらだらティータイムをする。ペーター・ハントケを読みながら、朝からずっとシャッフル再生、時折ベースを爪弾いて、布団の上でおどったりもする。以前フライ…

侘しい指の貫きたる

3月上旬、ひさびさにスマホゲーをインストールしてしまって3週間ぐらいまいにち遊んでしまう。もう離れてずいぶん経つけれども、わたしはminionsというブラウザゲーが大好きで、システムがそれに似ている。いわゆるMOBA、Multiplayer Online Battle Arenaと…

concussional restructure

ポーズをとる。それは嘘である。わたしの倫理は自らに対する嘘を拒む。自分に嘘をつかないためであるならば、他者に対する嘘をも辞さない。「嘘はつきたくないなあ それすら嘘になった」? 「好き嫌いでしごとをしていない」あるいは「好き嫌いで映画(本で…

あぶない橋の上でおどる(すでに落ちているが

ホモセクシュアルのひとが自らの性的嗜好を明かすことを「カムアウト」とさもとくべつなことのように札づけられているいるのに対して、ヘテロのひとたちが自らのセクシャリティをわざわざカムアウトすることがないことが、「通常」のような顔をして居座って…

ハイチの起床

0/100で考えるものごとのおもさを、1-99のグラデーションによってはかりなおすだけで、多少は心も晴れることがある。なぜひとは極端なものに安心をおぼえるのか? 宙吊りに自らを留めうる忍耐をもたないからである。あいだにとどまりつづけることの苛烈さに…

自らを殺さない方に行く

自己の感性への信頼が裏切られるような出来事のつみかさねがわたしを〈世界不信〉へとみちびき、生は無の連続でしかないということを容赦なく告発する。幾度も経験したドス黒いあざやかなひかりが、まあたらしい皮膚をまとった無軌道のけものが、何重にも周…

太刀打ちする前(できないばかりでないことのしたため

退路を断つ癖がある。そうしないとうごけないからだ。立ちゆかない隘路において、さらに自らを窮地に追いやって、「せざるを得ない」状況をつくっていく。背水の陣、窮鼠猫を噛む、追いつめられれば追いつめられるほど、すりへればすりへるほど、わたしは思…

選べるショベル

インディゴ地平線について先日も言及していたのに気づかぬうちにまた触れていて、いかほど好きなのかと自問するが40にしぼった精選ソングのなかにインディゴからの選出はなく、いちばん好きなアルバムは三日月ロック、ついでスピッツ、今回新たに聴いたアル…

くそばかに対するたたかい

これに尽きる。くそばかと名指してしまう回路自体も問題かもしれないが、世のなかにはくそばかがそうではないという顔、むしろかしこさをあたかもにじみだしていますよというような素振りをして悠々とのさばっているのである。参院選直前であるいま、無数の…

遠ざかる崖の位に

複数の問題系を生きるということは、戦線の点在を意味する。抱える問題が増えれば増えるほど、複雑になればなるほど、ひとの〈戦力〉は消耗し、ついには手を放す。ひとを支配するためには、複数の問題を与えてやればよい。異なる場所に火をつければよい。た…

身もちの引導

なかば強迫観念のように何かを観にいかなくてはいけないとここ数年、毎週末ギャラリーや映画館や劇場などに足繁く通っていたが、ここにきていまだかつてないおちつきを得ているのはなぜだろうか。家のなかには天井まである3つの本棚をところせましと埋める積…

パララックスの健忘、あるいは臨戦

先月と、先々月の心情の、たたかいの記録として記す。理不尽だなあと思いながら日々zangyoしているが、かかわっているひとみんながみんなそう思いながらやっているような気がしてかなしいしばからしくなる。編集の段階で地獄を見ていると、デザインあるいは…

厳密さをくいしばる

ふとはずみのようにでてきた浅はかなーー浅はかである、と発話者が一糸も思い至ることのないようなーー発言に対して、その一言一句を厳密に思考し、適切な「返事」をあみだそうとする際の「コスト」は、何らかの「便益」を生みうるのだろうか。コストだの便…

あたまのtrans、からだのtrans、

隣人が引っ越すようである。大した近所づきあいもしていないのだが、わたしがこの部屋にやってきたのとほぼ同時に入居してきたひとたちなので、少しだけ感慨深くなっている。たち、といったが彼女らは4人で暮らしている。それぞれヴェトナム語を話し、昼は色…

二重化された人体の分断

自由を志向する姿勢を顕彰するしごとをしながらそれにたずさわるわたしの自由ががちがちに縛られているのはなぜなのか。複数の考えが入り交じる「集団制作」において、「下働き」の立場にある者が加担したくないことがらに対していくら拒絶のふるまいをした…

過剰防衛の馬乗り

わたしの背が見しらぬあなたに触れるまえに、腕やひじ、かばんを以て押しもどされる、というよりもただ押される、走行にともなうゆれによってすこしかたむいただけのわたしのからだは、後ろから見えないちからによって強引に圧をかけられ、その圧がまえに立…

生あるいは正のくじき

うっすらとしたつながりが背景の色にまぎれて、もしくは深く沈殿して消えかかっていたとしても、ふとしたときにおもてに浮きあがってきて、はっきりと切れ目のないかたちを示すことがあるが、それを希望などと名づけて呼びあらわしてしまうのはたいへんに苦…

ききのがした火花の潜熱

人生初のトークイベントをおえた。思っていたよりもべらべら話せるなとしゃべりながらも調子づいていたのだが、聴衆にはみしったひとが多く、場自体もかぎりなくみぢかな会場であったため、そんな状況であれば誰しもがすらすら言葉を口にするだろうし、せっ…

無言のくぼみに触れるゆび

痛い目をみないと学べない。これはあらゆることに対して言える。たとえば、「胆力をつけるためにはいちど痛い目みないとだめかなと思いながら、じっさいにそうした出来事にでくわせば萎縮してそのままやる気やら何やらが消滅するルートもあるよな、と逡巡して…

情感の適宜

実感の話をした。いざそこから歩みはじめるのはいいのだが、何がわたしを騙すのかと問われればまさにその実感が最大の黒幕なのである。かつてわたしは1_WALL展でのステートメントに「自らを信頼し、自らに忠実であろうとするわたしが、わたしの正しさを信じ…

わからない日の蓄積

なにごとも退路を断つとすすみはじめる。しごとも制作もゴリゴリとしてきており、つかれはあるがとてもよい感じだ。気のはるいちにちによって思考が練磨される、その連続がわたしの生を拡充させていく。すでにある知から出発するのではなく、自らの実感から…

せんちめんたる・ぷらくてぃす

アナログデジタルしごとせいさく問わずさいきんもりもり書くことをしているわけですが、とても思考が整理されよい。もちろんセラピーにもなるので日々健康にちかづきつつある実感がある。ほんとうでしょうか? そんなに単純なものでしょうか?でもほんとにお…

反意の道順をふりかえりながらうろうろする

「KくんとFくんはいつも著者の考えとは反対のことを書くよね」細かなところまではおぼえていないが、中学校時代、国語教師が授業中に発した言葉だ。Kくんというのは当事わたしがよく遊んでいた友人であり、Fとはわたしである。教科書やテストの設問としてよく…

真摯さの強制誘発対話ゲーム

あるひとつの真摯さがあり、それは他者の真摯さを強制するが、完全にひきだすことができるかどうかはわからない、あくまでも誘発の域にとどまること、その境目でなされる「よくわからない」という一言ですべてを片づけられ、対話はなされず、一方的に切り捨て…

帰巣の準備体操

5-6時間の会議、というより聞くこと、発言せずにただひたすら話を聞くことがザラである「労働時間」をいかにしてポジの力に反転させていくか、その思考と試みに疲労をおぼえている。おれはつかれた。話すことは快であり、聞くことは不快である。 知ることは快…

雪融けを待たない仕草

自分で考えることについて考えている。すべての思想はおまえのための踏み台であり、手がかりである。自分の思想・哲学を練り上げることなしに世界は変わらない、すなわち、おまえはあらゆる思想を取っ掛かりとして、この断崖絶壁を、その困難さを自覚しなが…

正常な漉きで増えた水辺に

腰を据える、肝が据わる、地に足をつける、というようなことでいえばたましいが落ちている、たまおち、ここでいう落ちるとは落ち着くにちかく、堕落などではなくて、はらおち、とはまたニュアンスがちがうのだが、そのような状態にある。さめていく。温度が…

自分を確かに通りすぎたきもちを覚えていない

勝手にあなたのためを思われる。あなたのためを思って、は欺瞞である。自分がいちばん自分のことを思っている。でも、あなたのためを思うのは勝手である。わたしはわたしのことを思っている。自分に自分を背負わせる。わたしはわたしを思いながら、あなたは…