みすてられじょうず/あいきょうまんてん

朝のニュース番組、モルディブ海上都市がどうのというニュースの際にトロプリの変身bgmが流れ、やる気パワーがカムバックする。

中山竜『チェンソーマン』(2022)1話。原作第1話を映像化しているわけだが、デンジとポチタの関係性にフィーチャーしただいぶグッとくる構成になっていて、物語に惹きこまれた。引き画の多いレイアウトも単なる原作なぞりではないことをやるぞという気合が感じられ、好感がもてた。さみだれもこんなつくり手に恵まれていれば、、と嘆くわたしもいた。エンディングに絵がないが、曲のほうでバリエーションをつけるという展開のしかたはおもしろいと思った。

祖母の足腰トレーニングがてらいっしょに買いだしにでかける。野に咲く花のほか、往路で見かけた植木を切っている老父に興味を示しており、復路では「あら、おとうさんおわったのかしら」と同じ道を通った際に声を発していた。おわったどころか「おとうさん」と呼ばれた彼はいままさに枝葉を剪定している最中で、向こうにも聞こえているのだろうなと思いながら「ほら車が来たよ」と話を逸しておいた。帰ってくるとへばることが多かった気がするが、気温が下がった所為か今日は元気にしていた。

両脇に猫をはべらせながら、乗代雄介『パパイヤ・ママイヤ』を30頁くらい読む。絵を描く少年とのやりとり、小説の話をしている!とテンションがアガった。「『見たままを描きゃいいんじゃない』とパパイヤは言った。『どーせ見たままになんかならないんだから』」「『きみって、絵描くの好きなんでしょ? なら、人がどう思うかとか人になんて言われるかなんて、気にしなさんなよ。そういう時間って、けっこうもったいないんだよ』」。

猫とふれあっているとからだに生傷が絶えなくなる。今日は左の手のひらを1.5センチほど切り裂かれた。傷ついたその手でシャンプーをしてもやった。びしょ濡れのからだをブルブルとふるわせながら、浅く湯を張った浴槽のなかで2匹の猫がにゃあにゃあと鳴いていた。ノミダニ滅亡まであと何マイル?

夜、鮭白菜舞茸長ねぎのミルク醤油スープ、ししとうと玉ねぎとトマトと豚肉のチーズハリッサ炒め。うまい。スープは味噌で味をつけるつもりだったがちょうど切らしていたので醤油にした。出汁がでる食材ばかりを具材にしたので五臓六腑にしみわたる味になった。



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ワークをしているとQさんから電話。濱口竜介の『親密さ』を観てきたという電話。SさんOくんといっしょに観に行ったという。話を聞いていて思ったが、わたしは観たり読んだりしたものの記憶がほんとうに薄い。よかった/よくなかったという感慨はからだにのこっているが、何がそう思わせたのかのディティールがあらかた消え去っている。あれだけよかったとさわいでいた本作もその例を免れず、輪郭線がかろうじてのこった断片的な記憶が、砂で描いた風景画のようにこびりついているだけなのだった。

電話の向こうではTさん、Hさん、Sさんと続々と人物が増えはじめ、さわがしくなってきたのでOくんが気を遣って電話を切ってくれた。

クリストバル・レオン×ホアキン・コシーニャ『The Wolf House』(2018)。毎秒毎フレーム超絶技巧が展開されるチリ発のストップモーションアニメ。「これは「the colony」という自然豊かな蜂蜜をつくったりするコミュニティに関するファウンドフッテージをクリストバル・レオンとホアキン・コシーニャと国の支援のもとにレストアしたフィルムなんですよ」という手のこんだイントロダクション以外はカットを割らずに(ストップモーションなのでカットは割られているわけだが)制作されていて、そこで用いられている平面と立体をシームレスに行き来する演出があまりにもきょうれつ。不穏さが軋音を立てるような音響設計も相まって、ひさびさにすごいものを観ている感を味わった。ドイツ語音声・英語字幕での鑑賞なので話を完全に理解したわけではないが、題材を同じくする『コロニア』を観ていたのでたいして不都合はなかった。台詞数も少なく、簡単な単語が大半なのに加えて、そもそも画面を観ているだけで充分にたのしめる。

seimeikatsudou.hatenablog.com
コロニア、イギリスでの初週の興行収入が数千円というのを当時目にしていたが、ググると360万ドルとでてくるので安心(?)した、製作費は1400万ドルとでてくるのでハイパー大赤字だが、、

seimeikatsudou.hatenablog.com
本作の製作国にはドイツも参加している、ドイツとチリの関係性には『愛と精霊の家』を観たときも気になった点である、コロニア・ディグニダがナチの残党によって設立されたことと関係があるのだろうか?


youtu.be
予告からしてヤバい、むかし観たヤン・シュヴァンクマイエルなんかより断然こっちの方が好みだ


『パパイヤ・ママイヤ』を120頁くらい読む。とにもかくにも会話文がうますぎて涙ぐむ。ふだん生きているなかで、このようにひとの会話をとらえることができるからこそ、こうした文章がうまれるのだとひどく感動する。

夜は同人会議。かなりひさびさ。大江-春樹のラインをOに説明してもらったり、アニメに食指がのびなくなった話だったり(たとえばわたしはいまプリキュアガンダムチェンソーマンと3本観ているが、これはどう考えても「アニメ」ではなく「メジャーコンテンツ」を摂取しているだけ、1期は観ていたポプテピピックも観ていないし、ちょっとだけ気になったアキバ冥途戦争もけっきょく観ない、現在主流となっている「なろう系」「異世界転生」に興味が湧くこともない)、以下の漫画の話をしたりした。

https://rookie.shonenjump.com/series/pGBIkZlOQQYrookie.shonenjump.com
連載、勝ち取ってほしい

金属製の思いやりですから

ぐずぐずしているからだいぶ先の予定の「理想のスケジュール」がくずれてしまう。だいぶ先だからまあ、とあきらめもつくが、もうちょっときびきびうごいていれば事態は変わったかもしれないのでくやしみもある。

夜、春菊舞茸豚トマトの和風だしスープ、豚バラ春菊カマンベールのかつぶし和え、しいたけえのき豚のだし醤油炒め。うまい。もりもり米を食べる。天気がわるくてライドに行けていないのでたくわえてばかりいる。

夜、鶏トマバジルのチーズスパゲティ。うまい。米が切れたのでひさびさにスパゲティの登場だ。

朝、ツナ炒飯。

デパプリ31話。ゆいとイースキ姫入れ替わり回。ディアナ!となる。「ございます」語尾の狂った用法にわらう。あまねの「品田」呼びのよさ。たくみがゆいの格好をしたイースキを本人でないと見破る場面もよかったが、ゆいが姫の執事であるゲンマの心情を察することができるのに感心した。わりと抜けたキャラクターに描かれているので、そのギャップに打たれた。初の非戦闘回であるのもオッとなった。

ドンブラ32話。vs.ソノニ・ソノザ&ソノイ復活回。花火をするドンブラメンバーの格好にわらう。流しそうめんといい、この季節とのズレは何を意味しているのか。ソノイ戦を反復する展開もおもしろかった。ソノニのジロウ評「コイツマジでウザいな」にもわらった。

換気扇の類の掃除。コンビニにチケットを発券しにでかける。プリキュアウエハースは売り切れたきり補充されることがない。受け取りの際のサインを書く欄をまちがえ、店員を撹乱させることに成功する。

昼、チキンステーキと目玉焼きによる親子丼。うまい。このスタイルの親子丼、推していきたい。



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催しのさなかにひとり高笑いするおっさんにはなるまいとひさびさにフェスに行って思った。フェスに足を運ぶのはサカナクションで凍えそうになったいつだかのARABAKI以来か? あるいはいまは亡きホステスクラブオールナイター……(しらべたらどちらも2016年だった、もう6年もまえ!)? 湖を眼前に、折りたたみチェアに座って背後からひびいてくる演奏を聴くサイコーのシチュエーション。チルがすぎるとちるが言っていた。しかし夜風があまりにきびしく、トリのサニーデイを観ずにおれは帰路についたのだった、、骨身凍てる秋の湖風、、乾杯しようと言った友達にも会えず、帰宅早々冷え切ったからだを布団のなかに埋めるのであった。

しごとで連絡をとっているにんげんからも、制作で連絡をとっているにんげんからも、ひさびさに会おうといっていた友人からも連絡がかえってこなくなり、無になる。猫があまりにもかわいいので生活に支障はないが、、

水魔2話。ミオリネまわりの話を観ていて、今回は家父長制バトルをがっつりやるんだなあ、と思った。CパートをのぞいてMSによる戦闘なしの構成も2話にしてよくぞ!となる。その野心、さいごまで燃え立たせてほしい。さっそくがっつりと登場してきた仮面ママはバロン・マクシミリアンだなあ、と1話に引き続いてブレンパワードラバーの血が騒いだ。はたして年内に観かえすことができるか?!

深澤敏明『映画 プリキュアラクルリープ みんなとの不思議な1日』(2020)。プリキュア映画をシリーズを通して観ていく際のたのしみかたとして、「お約束」をどのように描くかというのがあるが、ドラマパートでミラクルライトの説明をおこなう演出にそんな手もあったか、と感心する。登場する各世代を紹介しつつOPがフル尺で流れるのもへえとなった(ちなみにEDもフルで流れた)。この楽曲の用いかたは、作画コストが抑えられるであろう物語の機軸となるループ構成とともにコロナ禍の影響が踏まえられているのだろうか?と思ったが、当初は3月公開予定だったことを考えると関係ないかと思いなおす。「だって私たちはプリキュアだから!」と諦念に屈しない意志を宣言するシーン、過去のプリキュアを勢揃いさせてインサートする演出にしびれた(うららに至っては劇中のテレビ画面にも映るのでわらった)。

劇中で描かれる最初のループにおいて、のどかがラビリンに向けて発する「(手にもったミラクルライトのことを)おぼえてないの?」という台詞に違和感をおぼえたが、のちに明かされるループ回数を踏まえれば納得がいく、のか? ループと言えば、シーンのくりかえしを印象づけるためか車道を高速で走っていく車がおもしろかった(少年を轢きかける方の車ではなく、手前から奥に走っていく車)。今日がループしていることが判明する中盤、のどかの部屋でヒープリ勢による作戦会議がひらかれるのだが、そこでのどかの太ももにフィーチャーしたような画面構成がでてくるのがちょっと気になった。

終戦のバトル作画は、みじかいとはいえ気合をひしひしと感じた。そこだけ明確に(スーパー)グレースの頭身がおおきくなっているのだが、ひじょうに画面映えするなと思った。これでプリキュア映画はいま映画館でやっているデパプリ映画をのぞいて完走したことになる。デパを観おえた段階でまとめておこうかしら。

夜、豆腐の味噌汁、ささみ舞茸長ねぎ豆腐の塩煮込み。うまい。

無双しないから挽肉になるはず

猫がやってくる。キジトラと黒白。かわいい。じきにここにも写真が掲載されることだろう。猫党のみなさん、たのしみにしていてください。

冬野梅子『まじめな会社員』1巻開封。そうかあみこは経堂住みだったか、、と連載当時もおそらく思ったであろうことでしんみり(?)とする。情報量の多い作品なので、単話で読んでいた連載時とちがって、途中途中で休憩が必要だった。当初は4巻までイッキ読みするか、と思っていたが到底無理だった。重量のある漫画である。巻末おまけ漫画の想ちゃんのヒッピー風の風貌にわらう。

デパプリ30話。マリちゃん回 うれしい! 焼きそば屋台を「やるわ!」と宣言するマリちゃんの躍動感ある描写がよかった。そばをかえすヘラを画面手前、両サイドからインサートさせて場転する演出も見事。ライバルである海鮮屋台をだす仲良しラブ夫婦のまぶしさをじっさいにまぶしそうに描いているのにもわらった。絵コンテは小村敏明、演出は三家本泰美。焼きそばにトッピングするあまねんに「トッピング! ブリリアント! シャイン・モア!」と変身シーンの台詞を言わせる秀逸な脚本は谷畑ユキ。演出のひともそうだがプリキュアでははじめて見る名前。料理の概念ごと消滅させるゴッソリウバウゾーの登場には、プリキュアもだんだん終盤に向かってきていることを伺わせられる。それにしても浴衣プリキュアたちのかわいさよ、、

ドンブラ31話。犬塚の面が割れる回、と思いきや割れない回。アバンでドンブラの面々が流しソーメンをしているのだが、なかなかマスターがありつけないのにわらった(シーンのおしりでようやくありつくことができる)。ダイエットを渇望するヒトツ鬼が、カツ丼屋の店員に「いっぱい食べる人が好き」と言われて成仏ENDするのがおもしろかった。なおかつその飛んでいったヒトツ鬼の霊体(?)が別人に憑依するのも「そんな仕組みなの?!」というおどろきがあってよかった。バトル時には挿入歌演出があったのも○。予告でのタロウ化して復活(?)したソノイにもわらった。

小林寛『機動戦士ガンダム 水星の魔女』(2022)1話。プロローグでガンダムを「死」のベクトルで描いたのを下敷きに、オープニングで人命を救う「生」から描きなおすのがよかった(ともにパイロットは主人公のたぬきである)。「MSの性能が〜」、「修正してやる!」、劇場版00のフラワー00的カットなど、過去作への言及が多く、かといってくさみはあまり感じられない描きかたで、それなりにたのしく観た。台詞なしで学園のイメージを伝える場面もスマートだと思った。主人公(機)の圧倒的つよさを見せつけ、ヒロイン(?)と対面させてENDする構成も王道の1話という感じでよかった。観ている最中にはなぜかまったくあたまに浮かんでこなかったのだが、ついったにはウテナウテナだと言っているひとがたくさんおり、ほんとだ!となった。決闘、花嫁、転校生、植物園(ではない)……。トマトを見てわたしが思いだすのはいつもブレンパワードのことである。ブルーレイ、いったいいつ観るんだ、、

夜、豚玉ねぎの卵とじ、紫蘇酢醤油味。丼にして食べる。うまい。ちょうどこういうのが食べたかったんだよ、と妹。



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冬野梅子『まじめな会社員』2-4巻。イッキに読むのは、、と言いつつイッキに読んだ。いつまで今村に執着してるんや!と連載時よりもつよくそう思った。あみこよ幸せになってくれ、、と当時は読んでいたが、こうしてまとめて読むとあみこよ、、となることも増えた。

猫と遊ぶ。紙袋の持ち手の紐をちぎったものがお気に入りのよう。いつまでもがじがじとやっている。

夜、赤魚のひらき、餃子、わかめの味噌汁、レトルトのスンドゥブ。うまい。

猫と遊ぶ。日に日に成長している。片方はケージのいちばん上に取りつけてあるハンモックまでひとりで登れるようになった。

夜、きのこと挽肉の炒めもの。えのき・しめじ・玉ねぎ。かつおぶし醤油味。うまい。

猫と遊ぶ。遊びつかれてわたしの膝でねむるすがた、かわいすぎか?

夜、卵とわかめの中華スープ。惣菜。昨日ののこりなど。うまい。

飯をつくって猫と遊んでばかりいるとしか思えないここ数日だが、ワークももりもりやっている。細々とした下準備の作業が主なのでそこには特筆すべきものがないのだった。生活のなかには書きのこしておけばそれなりに趣のあるだろう事柄もままあるが、そうしたもろもろはこの編集画面をひらく頃にはすでに忘れている。そうした些事こそを書いたほうがいいことは、旅行にでかけた際の筆致や、おもしろいと思える他者のブログや小説をながめればすぐにわかる。そうであっても、そうならないのがわたしの怠惰である。

同人誌に向けた原稿の制作もすすめていかないとそろそろまずい。Aさんみたく複数の原稿を事前に仕上げていい方を掲載する方式にしようと〆切が決まった段階では考えていたが、無理では?という感じ。

alvvaysの新譜、ひさびさにたのしみにしているアルバムという感じで配信が待ち遠しい。先行リリース曲がどれもいい。girl bandあらためgilla bandのニューアルバムも同日にでる。

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今月、興味のあるアートイベントが県内(といっても住んでいる場所からは100km以上の距離があるが)で複数あり、ロングライドついでに観にいくのはアリだなと思っている。往復200kmにかかる時間を考えればどう考えてもこの時期のライドは寒いにちがいないので、チャリ用の上着がほしい。maapかraphaか。あるいはmorvelo、isadore、cafe du cycliste、ostroy……。しらべていくとよさげなブランドが次々に見つかっていく。しかしそんな大枚ははたけない。かせごうどうぶつの森

走破の暗唱

シロップの新譜発売の報によろこぶ。その文言を見かけた際、お!と声がでるほどまだシロップのことが好きなのだなと自分でもおどろいた(いや、もちろん大好きなのだが)。全曲新曲ライヴをやっていたことにいまさら気づく程度のファンだというのに、、

朝、昨日のトマト煮でスパゲティ。うまい。粉チーズをもりもりにして食べる。タバスコは切れていた。

買おうと思っていたスピードセンサーとサイコンのセットが売り切れていた。もはや買うのは来シーズンでいいか?とも思っている。数字に踊らされるな!という啓示だと考える。

さいきん食欲が増している。ロードに乗るようになってからからだがカロリーを欲するようになった。摂取したすべての栄養が脂肪でなく筋肉に成り代わるとよい。食べようタンパク質。

コートをクリーニングにだしに行くついでに軽くライド。以前登った坂のリベンジに行く。以前は途中でがっつり足をついてしまった坂だが、今回はぶじシッティングのまま登り切ることができる。こうして成長が目に見えるのはうれしいことだ。走行距離は20キロくらい。帰ってきても足がプルプルしない。帰路、金木犀の香りを突っ切る瞬間があり、秋が身体の内側から立ちのぼる思いがした。季節とは記憶によって定義づけられている。木立を抜けるときに感じた肌寒さには、夏にはないさびしさが含まれてあった。

それにしても高い服をクリーニングにだすときのプレッシャーたるや。タグをペラペラとめくりながら色落ちするかもしれませんが、と受付のひとが低めのテンションで言っていたのがたいそう不安である。まだいちども着てでかけていないのにそんなことを言われてしまっては、、(汚れがついている以上、持って帰るわけにもいかないのでだしましたが、、)

夜、茄子の味噌汁、豚舞茸大根の塩煮。うまい。塩煮はヒハツをきかせた。はじめて使用したが、食欲を増させる風味がある。なによりヒハツという語のひびきがいい。ビバブだったらおそらく食べていない。ケバブはおいしい。

わたしの住む家で猫が飼われることになったかもしれない。しかも2匹。家族ラインに母の友人が撮影した猫の写真が掲載されて早2日。あまりにも急激な展開にわらっている。幼少期、シャム猫を飼っていた記憶がよみがってくる。猫も好きだが、どちらかと言えば、犬が飼いたい。よりコミュニケーションが取れる生き物がいい。できることならシェットランドシープドッグがいい。フリスビーを投げて、それを追いかける犬をながめ、それを咥えて戻ってくる犬を抱きしめてやりたい。

夜、大根のピクルス、鶏胸のおからパウダー衣揚げ。うまい。ピクルスははちみつ、塩、酢、ホワイトペパー(ホール)。唐揚げはヒハツマヨで食した。

夜中、おそらく10数年ぶりくらいにブタメンを食べる。小学生の頃、市営プールからの帰り道にある駄菓子屋(先日、ライドの折に立ち寄ったらおそらくつぶれていなかった、、?)で買って食べるのが好きだった。ひと口すするたびに、色褪せた記憶が現在に塗りつぶされていくようだった。



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西尾大介ふたりはプリキュアMax Heart』7話。前回もひさびさだったが、今回もだいぶ間があいてしまった。しかも1話きりの視聴。こんな体たらくでよくもまあ全シリーズを1年で完走するなどと豪語したものだ。

7話はなぎさが母に家事を頼まれる回。頼む際のなぎさ母の怖い顔がウケる。近年のプリキュアではやらなさそうな演出。「DATTEやってらんないじゃん」風にスーパーの惣菜で夕食を済ませようとするなぎさに対して本気で怒るほのかもおもしろかった。友達のだらしなさにマジになれるアツいおんなだよな、、そんななぎさに対して、自分だけでお客さんにだせるレベルのクレープをつくることができてよろこぶひかりを対比させ、さらにはあかねさんが会社を辞めて独立して屋台をはじめた理由(自分の手で何かをつくり、それで目の前の誰かを喜ばせたかった)をぶつける作劇がいい。感化されたなぎさが亮太と父にまっすぐに「よろこんでほしくて」と伝えるのもグッとくる。成田良美だなあ、と思った。アクション作画もクセありな描きかたで印象的だった。おそらく山田起生担当?

早くに叩き起こされ、猫のためのケージを組み立てる。3階建てのタワー式。まだちいさい仔猫だというので、このスペースだけでもよく遊べるのではないか。そもそも上階にジャンプできないか?

夜、塩麹漬け鶏胸舞茸+茄子玉ねぎの味噌炒め煮。うまい。ひと晩経って大根ピクルスもよく浸かっていた。

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さいきんはよく蚊と格闘している。あまり俊敏でないのが多く、しかしわたしの視力もショボショボなのでいい勝負を日夜くりひろげている。

夜、ぺたんこハンバーグ、マスタードチーズソース。うまい。クローブナツメグ、シナモン、クミン、塩胡椒。ソースは豆乳でのばした。

ちょっとかわいいかも?と思ったインスタの広告で流れてきたブランド、コートもニットもシャツもだいたい価格帯がいっしょ+一着10000円前後でどうなってんだ?と訝しがりつつ調べたところ、アリエクにさらなる安価で出品されているとの情報を見てウーンとなる(自分でも調べたところ、いくつかの商品は出品されていた、これが「偽物」だったらいいがどうもちがうような、、)。インスタのハッシュタグを適当に打ちこんでいた(べつに単色でも淡色でもないもの含めてすべての投稿に「#単色コーデ」「#淡色コーデ」と付されていた)のがとどめとなって購買のきもちは消滅した。客をなめないでほしい。

コートが届く。部屋着の上に羽織ってもバチバチのカッコよさ(というのは言い過ぎか)。汚れ部分はほぼ目立たず、クリーニングにだせばどうにかなる気がする。心底ハッピーなきもち。しゃれこんででかける予定はひとつもありませんが、、また、ごていねいに値札までつけてきてくれたのだが、わたしのしっている値段よりも+10000ほど高い数字が印字されており、さらにおお、となる。わたしの所持している衣類のなかで断トツの定価である。

中村亮太『映画 ヒーリングっど♡プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!』(2021)。デパプリ映画公開記念の限定配信で観る。何よりもアクション作画がひかっていた。とりわけ、強化エゴエゴ戦でのエフェクトバリバリのリミテッド感あるバトル(おそらく芳山優?)はかなりの見応え。5GoGoチームの登場によってもボルテージがブチ上がる序盤のスクランブル交差点での縦横無尽のアクションもソークールな仕上がりで、プリキュア映画のなかでもトップ3に入るバトルっぷりなのではないかと思った。最後の決め技を放つ前にドリームとグレースが手をつなぐ描写を入れるのもアツい。

自らの抱く夢を「ゆめアール(このアールはARやVRのR=Realityである)」として現実化できる「ゆめペンダント」と、それに呼応するハトキャで言う「心の花」的な「ゆめのつぼみ」をキーアイテムに本作が描くのは、母から子へのつよい想いである。我修院博士からカグヤへ、のどかママからのどかへと注がれる「愛」。かたちはちがえども、その想いのひたむきさは変わらない。差異があらわれるのは、子が望む夢のベクトルだ。病床に伏せっていた幼きのどかの夢は「美味しいものいっぱい食べられるようになって、いろんなところに行って、お友だちをつくりたい」と「未来」に向いているのに対して、カグヤの夢は「(我集院博士に)あの優しかった頃に戻ってほしい」と「過去」に向いている。そのねじれがいいアクセントとなって物語に起伏をつくっていた。母娘の絆というテーマ設定は、
newstage3で描かれた「過保護」にも似て、観客層にダイレクトに刺さる秀でたつくりだと思った。

ほか、誕生日パーティに母である我集院博士を誘うことを提案されたカグヤがおこなう手の芝居がめちゃくちゃよかった。もじもじした気恥ずかしさと抑えきれないうれしさがそのうごきのなかに流れていた。また、ゆめアールで現実化した国立競技場でちゆちーが走り高跳びをする場面、ほかのメンバーの応援台詞を受けて最後にあすみが「です!」とだけ言うのがツボった。やさしくたおやかな「DEATH」のひびき。プリキュア5をコラボ先に選んでいるからであろうが、「東京ガールズコレクション」というメインの視聴者層とはずれたイベントが劇中で展開されるのもおもしろかった。決着後の色とりどりの花が咲く花束の後景に瓦礫をのこしている背景美術にも唸った。

同時上映の短編である大塚隆史『映画 トロピカル~ジュ! プリキュア プチ とびこめ! コラボ・ダンスパーティ!』もつづけて流れたので観る。5分の尺につめこまれたハチャメチャな画面がたのしく、タイトルの「ダンスパーティ」を恒例のEDのダンスにつなげる構成にも唸る。

同一動画内にデパプリ映画公開記念のトロプリ・ヒープリ・スタプリ声優トークも収録されていて、それも観たわけだが、その噛みあわなさにわらってしまった。悠木碧のジメ感、えいたそのテンションの高さ、ファイルーズあいのちょけっぷり……。



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相米慎二『風花』(2000)。金沢に行った折、Oくんがすすめてくれた。本作のオープニングシーンがもっとも好きな1stシーンかもしれないと言っていた。ちかぢか配信終了の表示がでていたのでギリギリすべりこむことができた(しかしじっさいは配信終了しないユーネクスト、サイコーだよ!)。相米慎二の映画を観るのは、大学時代に長回しの一例として『ションベン・ライダー』の抜粋を講義で見せられたのをのぞけばはじめて。不祥事を起こしたアル中官僚の不能者が、これまた零落したピンサロ嬢のファム・ファタールと出会い、ともに回復に至るロード・ムービーであり、遺作である。最初のカットからして「映画」の質感がある、と思った。高所と低地を用いた画面設計、(時間や対人間の)「交通」の装置としての電車など、そのこしらえのいちいちがよい。旅の目的として設定される「雪」の登場をドラマチックにしないところもよく、その抑制が花吹雪→紙吹雪→吹雪と変奏される空から降ってくるもののきらめきをより際立たせていた。

中盤、北海道のジンギスカン屋(?)で繰り言をのたまう浅野忠信の酔いかたがひじょうに巧く、イヤな酔っ払いはこうやって同じ言葉ばかりをくりかえすんだよな、とわらって観ていた。「死」へと向かうことで意気投合したふたりが酔いから目を覚ますファーストシーンと、これから「生」へと向かっていくことを象徴的に伝える後半の山小屋での起床シーンの対比、ふたりの立ち位置が「逆」になっていることはもちろんだが、「コスる」という自涜の技術であり、客を射精に至らせる「プロ」の技術が蘇生のふるまいになっていることに深く感動した。ほか、冒頭、画面から立ち去ろうとする浅野忠信に向かって、履いていた靴を足にひっかけて飛ばし、見事命中させる小泉今日子の芝居がよかった。

夜、ささみとしいたけのトマト煮。オレガノ、バジル。うまい。

ひらたくなるならきみを挟もう

ユーレイデコ最終12話。POV+3D背景のアバンであらわす「異界」(=ハックの過去)演出がよかった。終盤、前にせりだしてきた「家族」はラストには吹き飛んでしまって拍子抜けしたが、これはこれでまあいいか?みたいな観後感。こういう着地をするのであれば、前半からもっと難解に振ってよかったのではないか(とはいえ、ついった上では「わからない」といったような感想をそうするまでもなくよく見かけていた気もするが、、)。何年か前に数話だけ観て止まっている『カイバ』でも観てみるか?と思った。同じラインで語れる作品の気がする。

台風でびしょ濡れになったスニーカーを洗う。ありがとうウタマロ石鹸。風はそれなりにつよい日だったが、外に干していてもぜんぜん乾かなかった。日が暮れて空気が湿ってきたので、履き口に新聞紙をつっこんで玄関に放置する。

『中谷友紀子 東映アニメーションプリキュアワークス 2』読む。トロプリサイコー!の気分になる。特典のまなつ&ローラポスカの尊さよ。キュアパパイアの初期案にはそばかすが描かれており、マジでわかってる、、となる。全シリーズ完走していない身で言うのもなんなんだが、キュアラメールのデザインは歴代プリキュアのなかでもマイベスト1かもしれないな、と思った。

夜、椎茸入り麻婆豆腐。うまい。自分の分はホアジャオマシマシで食べる。花椒を一発変換できない日本語入力プログラム、、

インスタ用に近年のロゴワークをまとめる。ロゴは単体で紹介するにはヴォリュームが、、という感じだったので(とはいえインスタ上では「作字」は人気のデザインジャンルのように思える)、。これらがおわったら演劇本のデザインに集中して取りかかる。

夜、キムチキャベツミルクスープ、ニラ椎茸ひき肉キャベツのオイスターソース炒め。うまい。

発売当時高すぎて買えなかったコートが中古で売られているのを発見した。袖に汚れがついているとはいえ、価格も1/6くらいまで下がっており(10ウン万引き!)、買うか買うまいかずっと迷っている。もう2年以上も前だが、試着したときの「これはいいものだ、、」という感慨がいまだに肌にまとわりついている。ひと晩逡巡したのち、購入する。服は出会ったときが買いどきだから(ちょっとフェミニンがつよすぎるんじゃないかと躊躇してしまったパーミニットのげきかわ帽子も見つけたときに買っておけばよかったといつまでも後悔している、できることならば試着したいが)、、妹も買い逃した服をメルカリでゲトってたいそうよろこんでいた。

夜、スクランブルエッグかつぶしマヨ和え。うまい。惣菜の焼き鳥やキムチなどといっしょに食す。

デパプリ29話。クッキングダム訪問回。ふたつの世界を行き来するゲートを出現させた張本人であるコメコメが、それを目撃したプリキュアたちといっしょにおどろいていたのがよかった。無印第1話初変身決め台詞後にブラックが思わずつぶやく「……って何?」的な趣がある。自らの手にしたちからに、自身がびっくりすること。クッキングダム内の描写も、ゆいがわたあめ雲を吸う(「食べる」のでない!)場面や、おかず池(ネーミング!)で中トロやステーキなどさまざまな料理を釣り上げるシーンなど、たのしげな演出がひかっていた。担当は河原龍太。作監稲上晃によるデフォルメ顔も◎。推しキャラのひとりであるセクレトルーさんの初出陣もテンションがアガったが、何よりラストのゲート通過時にスタプリ、ヒープリ、トロプリの面々が画面に映るのはかなりアツかった。フレーム内フレームで「過去」が映しだされる方式、マジでターンエーなんだよな。

ギーツは切って食事タイムにした。そぼろ納豆と白米。はじめて食べたがさほどうまくなかった。これが納豆大国水戸の一角、、? おすすめの納豆、おしえてください。

ドンブラ30話。「誘拐に松竹梅があるなら(これは松ね)」、目覚ましい台詞だ。あってたまるか。アノーニと獣人が喫茶どんぶらにフツーにいてもそこまで「変」と思わせないのがドンブラザーズのすごさだと思う(喋れるんだ!というおどろきはあった)。いよいよ次回はイヌブラザーと犬塚のあいだに等号が敷かれる回。夏美-みほをめぐる話もだいぶうごきそうでたのしみ。




ひさびさのライド。湖畔を走る。サイコーのきもちよさ。途中湖面のだいぶ近くを走れるめちゃくちゃいい感じの道があるも、工事のため通行止めになっており泣きを見る。総走行距離は85キロくらい。ヒルクライムより走っている最中のつらさはないが、脚はだいぶ疲労した。休憩時、あまりに脚がおわっていたのでその場に根が張りそうだった。パールイズミのパッド入りパンツ(定価はおどろきの¥8250!! パンツだぜ!?)をはじめてつかったが、はたして効果はあったのか?というくらいにケツは痛かった。履いてなかったら途中でケツが粉砕していた説もある。ラファのウェアは上々。このくらいまで気温が下がってくるとドリンクボトル2本もっていけば買い足さなくてもぜんぜんもつのだなと思った。雪が降るまでに100キロライドを悠々やれるくらいの体力をつけたい。

夜、豚汁、冷凍餃子。豚肉、舞茸、しめじ、しいたけ、里芋、ごぼう、長ねぎ。鬼のようにつかれても食事を用意する気力。えらすぎる。豚肉を炒める段階で鍋に舞茸を忍ばせることにより、やわらかさを付与することに成功する。天才。

想像以上にびりびりに破ろう

ミシェル・ウエルベック『地図と領土』。ジェフ・クーンズとダミアン・ハーストが対峙しているシーンから始まるように、現代アート(界隈)をモチーフにしている点は美術家の端くれ(もうほとんど「美術家」としては活動していませんが、、)としてつよく惹きこまれたのだが、『プラットフォーム』やら『ある島の可能性』のほうがおもしろく読んでいた気がする。付箋を貼ったのは以下の4箇所(すくない!がけっしてつまらなかったわけではなく、読んでいる最中はだいたいずっとたのしんでいた)。

またも父親と過ごすことになるクリスマスイブに向けて、心の準備をしたのである。/そうやって準備した甲斐があって、そのイブは何ごともなく過ぎた。どちらかといえば愉しい一夕だったといってもよかった。ジェドがそれ以上を求めなくなってから久しかった。

本作のなかでくりかえし登場し、最新作『セロトニン』のなかでは「鬱の気がある人にはしばしば致命的」な「大晦日」に至る先駆けとしての「クリスマス」(イブ)が冒頭、主人公にのしかかる圧として機能しているわけだが、その日自体をこうもあっさりと描写するのかと貼ったのだった。何を書き、何を書かないかというたのしい一例。

ただし美は絵画において二次的な問題であり、過去の偉大な画家たちがその偉大さを認められたのは、彼らが世界に関して一貫性のある、しかも革新的なヴィジョンを展開したからだった。それは彼らが常に同一の描き方、常に同一の方法、手段によって、この世のものを絵の対象に変えたということ、そして彼らに固有のその方法が、それまではまったく用いられたことがなかったことを意味する。

ウエルベックの小説はこういった蘊蓄的な記述が散見され、べつの作品を読んでいる際にはそれが鬱陶しいなと思った記憶があるのだが、美術に関心があり、かつ美術史の勉強をしていないにんげんなのでへえと思って貼った。

台所に向かおうとしたとき、電話が鳴った。彼は飛びついて受話器を取った。オルガの声は変わっていなかった。眼差しの表情と同様、人間の声は決して変わらないものだ。老いは肉体の全般的な崩壊に要約されるが、そのただなかにあっても声と眼差しはその人物の気質、願いや欲望、つまりひとりの人格を形作るあらゆるものが存在し続けていることを、痛ましくも疑念の余地なく証し立てるのである。

オルガとはかつての恋人である。ダンバインブルーレイボックス宣伝CFのナレーションを一聴すればわかるように人間の声は変化するが、そんな事実はどうでもよく、こうした断言にきもちよくなるのが読者である。

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若本規夫の声、聴き比べてくれ!!

ジェドは思った、人生はときにチャンスを与えてくれるが、あまりに臆病だったり優柔不断だったりしてそれをつかめなければ、配られたカードは取り上げられてしまう。物事をなしとげ、幸福になるためにはタイミングがあり、その時期は数日、ときには数週間か数か月間も続くことだってありうるが、いずれにせよそれは一回限りであり、元に戻ろうとしても無理な話、熱狂や確信、信頼はもはや生まれず、あとに残るのは穏やかな諦念、互いへの侘しい同情、そして何かが起こるはずだったのに、自分たちはせっかくの贈りものを受け取る資格がないことを示しただけだったという無益な、しかし正しい感覚のみなのである。

つまりはおれたちの人生である。闘争領域の拡大である。読んでいて四畳半神話体系のことを思いだしたりもした。



金沢の思いでをグラフィック化(上記画像)する。思えば、『夏Q正伝』もひと夏の経験の写真集化である。写真や言葉ではなく、グラフィックという形式で記録するスタイル、アリだと思います。旅に付き添って思いでを作品化するしごと、どうでしょう。ご依頼お待ちしています?

夜、卵スープ。うまい。

ドンブラ29話。ムラサメとジロウというこれまでほとんど絡んでこなかった、かつ、共通点が見いだせる人物が接近することによって一気にドラマが深まっていく印象があった。本作は1話完結スタイルが多い気がするが、(暴走状態ではあるが)犬塚と夏美が鉢合わせしたり、脳人の上部組織(?)である元老院が登場したりと後半に向けて縦軸の話がうごきだしてきた感がある。ムラサメ=妖剣ニンジャークソードを手にすることで我を失って暴れ回るキャラクターたちが話をうごかす存在として描かれていたが、ソノイの霊体(?)にパワーを吸いとられて変身できなくなってしまったタロウが、剣をにぎることでちからをとりもどす作劇にはわらってしまった。

デパプリ28話再見。コメコメ覚醒回。バトル中に変身が解けるシーンはデパプリ初? ここぞというときに使用されるのでちゃんとピンチ感がある。「ごはん」で敗北の落胆心情から回復する話はこびはグレイト。コピーである「ごはんは笑顔!」にふさわしい展開。覚醒については、劇場版のようにコメコメがプリキュア化する道すじも見ていたのだが、プリキュアにちからを与えるポルン(cf.Max Heart)のような立ち位置になるのだなあとおもしろく観た。覚醒の土台となるプレシャスの「たとえコメコメでもあたしの大すきなコメコメをダメだなんて言うのはゆるさない!」という台詞は、プリキュア論理を体現するキラーワード。敗戦ナルシストルーに挑発されたあとのフィナーレがコメコメにこぼす「みんなとおむすびが食べたいな」のよさも忘れがたい。プレシャスがデリシャスストーンを奪おうとする場面や、吹っ飛ばされるプレシャスなど、パワーアップ回特有の作画力のつよさも見所。