伝えたい気配の挫折

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5時頃起床。乗代雄介のブログを読みかえす。YouTubeで音楽を漁る。小説を書く。気づくと11時。写美にでも行くかと思い立つも、調べると無料観覧日で混んでいそうなのでやめる。わざわざ混雑しているときに行かなくても年パス持ちなのでだいたい無料で観れる。アサイヤス特集も気になるがメランコリと気だるさが抜けない。このまま20000連休に突入したい。と思いながら昼過ぎから15時ぐらいまで昼寝。かつてなくだらけきった年末年始だ。目覚めて、地元で飲みませんかの誘いを今年は帰省していないんですと断り、豚肉ネギエリンギを味噌とハバネロソースで炒め、スパゲッティと和えて食べる。うまい。

長嶋有サイドカーに犬」、藤野可織「しょう子さんが忘れていること」を読む。ともにはじめて読む作家。何に載っていたかも内容も失念してしまったが、後者のエッセイだかインタビューだかは読んだことがあると記憶している。読みながら、情景を読者のなかにつくること、を考える。この二作にかぎっていえば、わたしは前者の文体を好ましく思うが、それは起こる「こと」に焦点が当たるのではなく、それを受けた「うごき」が文章にあらわれているからではないか。これは先日読んだ『プレーンソング』における「なぞりの快楽」ともおおきく関係している(似たようなことを新聞家の演劇を観て思い浮かべたことを思いだす)。

23時頃、一昨日のバゲットのあまりに、先日こねて冷凍してあったハンバーグを焼いて挟み食う。レタス、トマト、チーズ、オリーブもトッピング。うまい。パティには豆腐が入っているのでやわらかタイプ。米が切れて数ヶ月経つ。米が食べたい。


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これは昨日のチキンソテーです


村上春樹パン屋再襲撃」を読む。読みおえて「なんやこれは」と思うが、この「なんやこれは」をたいせつにしたい。わたしも読んだひとに「なんやこれは」と思わせたい。ところどころアクセントのようにあらわれる比喩(たとえば「時間は魚の腹に呑み込まれた鉛のおもりのように暗く鈍重だった」など)が、わたしの感覚ではするっとのみこめないものも多く、そこがまたおもしろい。

保坂和志「この人の閾」を60pほど読む。保坂和志はほんとうにすばらしいと思う。もっと若い頃に読んでいたらめちゃくちゃ影響を受けたのではないか(むろん、いまも影響を受けないわけがないが)。劇的なことは何ひとつ起こらない。それでいて、丹念に、ゆっくりと噛みしめたい文章、やりとりが「ずうっと」つづいてゆく。このきもちをだれかと共有したいがほなみさんあたりは読んでるのかな。

日付変わって朝6時、ひさびさの燃えるゴミの収集日なので4袋のビニール袋をだし、明日は映画でも観に行くかと思いながら寝る。

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15時過ぎ起床。いつもこのざまだ。冷凍庫にあったひとかけの米をレンチンして豆腐と生姜と醤油をかけて食べたのち、豚肉とトマトのスパゲッティをつくって食べる。トマトには火を通さず、湯から揚げた時点でつぶして和える。オレガノとバジルましまし。うまい。グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』とジョナサン・A・アラン『アナル・アナリシス』をぱらぱら。あわせて読むとおもしろそうだと思う。

豆乳でココアをつくって「この人の閾」をおわりまで読む。それまでゆっくりとすすんでいた時間がさいごの2頁でぐっと加速して、一気に悠久さにまで拡大するたたみかたがとてもすばらしい。作中にはじめから横たわるかげを、おわりで省略してしまうことは、読者への負荷のかけかたとしていいなと思う。2杯目のココアを飲みながらミシェル・ウエルベックセロトニン』を読む。昨年からだらだら読みすすめてきたがようやく読了。愛にまつわる後悔と苦渋の話で、読んでるとこっちまで鬱々としてくるのだけれど、ウエルベックのなかではたいした作品ではないのではという読了感。大晦日のくだりがでてくるのだが、まさに大晦日にそのシーンにたどりついてよい気分になった。

夜2時ちかく、夕飯(?)代わりに鯖缶をあけ、レタスをちぎって、ビールをあける。月曜からしごとがはじまるというのにこんなのでいいのかと思いながら、いやむしろこういう生活で生きていきたいなと前向きなきもちになる。『この人の閾』(読みおえた表題作のほか3編収録されている)を読みすすめる。ラーピーの小袋もひとふくろあける。

10年代映画50本の選出作業もはじめる。まずは前準備として、10年代に観てよかった映画を制作年を無視してならべていく。208本。よかった、というのはずいぶん抽象的だが、わたしは観た映画のすべてに0.5刻みの数値と+-を付してリスト化していて、上記の208というのは3.5-以上の映画だけを残したときに算出された数である(最大値は5.0)。わたしのなかでは3.0ともなればそれなりによかったなと思うレベルなので、3.5-級というのは年にもよるが年間ベスト10に入ってくる評価である。

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12時頃いちど目覚めるも何もかもめんどうになりまた就寝。18時頃再起床。鳥胸と玉ねぎ、エリンギでカレーをつくる。スパイスは、赤缶、ブラックペッパー、コリアンダー、カルダモン。味つけは塩をメインに微量の醤油とケチャップ、タマリンドペーストを小さじ2ぐらい。すべてをフライパンで炒め、さいごに豆乳でのばす。主食はクラッカーで。まあまあ。AppleMusicで音楽をシャッフル再生しながらごろごろする。こうやって時間を浪費していると、いったいおれは何をしているのかというきもちになる。

いまこうしてまいにち文章を書いているのは、気が狂わないためです。ひきこもることは、精神を打ちのめす。わたしにはこれまでの人生で何にも所属しない時期が2回あって、高校卒業から大学入学までの1年間と、大学卒業から就職までの1ヶ月なのですが、この18-19歳の1年は外出したのが片手で数えられるくらいとか、そういうレベルの生活をしていたので、よくそこから回復できたなと思う(とくにメンタルを病んでいたわけではない)のですが、逆に23歳の1ヶ月は当時の恋人とまいにち遊びほうけていて……という思いでがこれを書いているとよみがえってきて、まさにセロトニンのフロランやんけとけらけらわらっています。明日からはひきこもりでなくなるので継続した日記はおそらく頓挫するでしょうが、断続的にはつづけていきたいと思っています。