生あるいは正のくじき

うっすらとしたつながりが背景の色にまぎれて、もしくは深く沈殿して消えかかっていたとしても、ふとしたときにおもてに浮きあがってきて、はっきりと切れ目のないかたちを示すことがあるが、それを希望などと名づけて呼びあらわしてしまうのはたいへんに苦しい。では、わたしはそうした苦闘の位置に自分の足跡をながめながら突っ立っているとでもいうのだろうか。ひとのあゆみは所詮堂々巡りにすぎないのかもしれないが、すでに踏みならした土地の、打ち捨てられた石や葉の裏に隠された期待に頼るのは貧しいことだと、まださらの足場をつまさきで探りながら考えている。雪景色がいちばんうつくしいのはまだ誰の手もふれておらず、朝の光以外にはなんぴとたりとも侵入をゆるしていない潔白をたもっているときである。踏みあらされた雪化粧にわびさびを感じるほどわたしはまだ老いてはいないし、己の手でこしらえた雪像をいつまでもながめていられるほどうぬぼれてもいない。とはいえ、まっさらな雪原を前にして無邪気にはしゃげるほど若くもないのだが。

若さはおそろしい。歳をとるにつれ、こわいものがだんだんと減っていく感覚がある。そんななか、いまだに身の毛もよだつきもちにさせられるのは、わたしの理解の範疇を超えるものが、まったくそうしたそぶりを見せないまま、そのひとの通常の範疇の言動として、当たり前のように呈示されるのを目撃するときだ。それは換言すれば速度の問題といえるかもしれない。このとき、遅れているのはつねにわたしの方である。音楽や書籍をデータではなく、いまだに物体として買っている(そんなわたしもとうとうApple Musicをはじめてしまった!)ことや、短絡を嫌い、迂回や牛歩を厭わない性格とも深く連関していることのように思える。このついていけなさが、わたしの忌み嫌う老害(的思考あるいは存在)への第一歩だとすれば、ただただ自身の老化を呪うばかりだが、そのおそろしい行為に対して頭ごなしに否定の旗を振りかざすほどには落ちぶれていないことに安堵の息をもらしたりもする。

この遅れは、未来または現在に生きようとするがゆえの情動である。遅延感覚は、世界とのギャップによって引き起こされ、この裂け目に蹴つまずいたり、すべり落ちたり、埋め立てたり、飛び越えようとしたりしながら、わたしたちは認識できる領域を徐々に増やしていく。過去に生きる者はこの隔たりを感知せず、時間の奈落を気づかぬうちにただ転がっていくばかりである。この摩擦ゼロの落下運動は、ひとに痛みを与えない。傷ひとつすら残すことはない。それを幸福であるというのは容易いし、じっさい幸せなのだろうが、その重力への抗いこそが生の結節点として意味を形成し、生きることの実感をひとに与えてくれるのではないのかとわたしは信じている。わたしが生きる上での基本方針のひとつである「よりよい世界をつくる」ということは、その傲慢と痴態を抱えこみながらも、完治することのない傷-問いを身体上に持続させ、古い世界をできうるかぎり破砕していくということだ。


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わたしは「東京の家族像」がうまく想像できない。一家が電車に乗って移動しているさまを見かけるたびに、現実がかきみだされる思いがする。「今日の晩御飯は何が食べたい?」とあたかも娘たちの自主性を尊重したかのように発話される母親の問いかけからはじまった会話は、どこかへ遠出したのであろう、足のあいだにはさまれた大荷物がはなつ重圧と、その日いちにちの疲れ、料理をする面倒くささによってあらかじめ結論づけられていた「マックにしようか」に結実する。渦中、「うどんが食べたい」という姉もしくは妹の希望は、「家族の誰もがそうとははっきり言わないが明らかに統一を強制する圧力」によってひしゃげていくも、最終的には父の「おれが買ってくるよ」という語によって救済される。くーぽんがどうだのという騒々しい会話の最中も4人横並びにスマートフォンをいじくりつづけていたその家族は、わたしが降りるひとつ手前の駅で、手もとの画面を仲よく凝視したまま、一列になって降車していった。何の抵抗もなしに作動している家族という権力装置から、外聞をはばかることなく車内へしみだしていくプライベートのにおいに、わたしはある種のぜつぼう、つまりは深い間隙を感じとる。

またべつの日曜日、手をつないで歌を歌いながら商店街を歩いてゆく母娘や、ひとりごとをぶつぶつと呟きながら犬の散歩をする父と、それを無視して先を行く息子の無表情を目にする。そこに「家族」のすがたをわたしは認める。わたしの住む部屋の窓から見渡せる邸宅からも、そなえつけられたおおきな庭で球遊びをする子供たちの声がときたまきこえてくる。だというのに、「東京の家族」が、納得できるかたちで像をむすんでくれない。「家族」のイメージは、それまでに摂取してきた数々のフィクション/ノンフィクションによってかたちを変えていくが、その地盤を支え、ひとつの基準となる枠組みとしておおきな影響力を発揮しているのは自身の生まれた家庭である。車社会である田舎の、それも山間の団地に生まれ育ったわたしのリアリティの境界線が、そこであらわとなる。縦軸を成す「環境」の相違と、横軸を成す「階級」の類似が重なりあう第4象限において、わたしは自らの恥辱を見つめているにすぎないのだ。


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「よりよい世界」の志向は、すでにある世界を「よくない世界」として規定するところから始まる。この既存の世界の乗り越えによって、わたしたちはよりよい現実の実現に一歩近づくことができるが、この反逆は、対象物への愛着と表裏一体のものである。「くたばれ世界」と呪詛の言葉を吐きながらも、その可能性を信じているからこそ、わたしたちはぜつぼうを背負いこんだたたかいの継続が可能となる。もちろん、そんなものは日和った改革派の手慰みにすぎないとラディカリストたちは一笑に付すだろうが、現時点でわたしは、愛を超克した革命家にはなり得ないという自覚がある(世界に対するすべての愛着を捨て切ったとき、ひとは初めて徹底的な革命主体となるが、その話はまたべつの機会に書きつけたい)。革命の銃口を両手でにぎりしめ、観念だけをもてあそんでいたって世界は悪化の一途をたどるだけである。たとえ耕す場所が腐敗しきった大地だとしても、わたしは地に鋤を突き立てる。わたしの最大の目途は土地の改良などではなく、鋤を振り下ろすその行為自体の「新しいコード化」および「伝播」である。つまるところ、わたしは「意味がわからん言葉で意思の疎通を図」る、「しらない合図しらせる子」でありたいのだ。

わたしたちの存在に必ずむすびつけられているふたつの線は、「父」と「母」というむすび瘤を経由して、またべつの線と縒りあわさっている。あらゆる家族をむすびつけているこのちぎりがたい線は、逃れることのできないハーネスとしてだけではなく、自らが新たな線を再生産するための祖型としても全身に絡みついている。愛によって世にひりだされ、愛を求めてさまよいつづけるわたしたちは、この愛のきょうれつなちからを否定することができない。裏返せば、人生とは、愛に振りまわされるだけの道化のようなものとしてしかありえないのだ。そこでの熾烈な格闘こそが、生の実践の最前線なのだと、わたしたちは産声の記憶をもって追想することもできる。目の前にひろがるいちめんの銀世界も、足先で表面を払ってみれば、痩せきった荒れ地にすぎぬのかもしれない。わたしたちに途方はなく、ぬけみちのひとつも残されてはいないかのように思える。

だとしても、わたしは負ではなく正の方位へと足を踏みだしていく。ただそれは、何が負で、何が正なのかをはっきりと見定めるまえの、つまりその場に立ち竦むことに耐えきれず仕方なしに踏みだされる一歩である。その恥ずかしさの薄布の表面に隆起した「血脈」に反抗の刃を突き立てながら、わたしの鈍足は地をはなれる。靴には土がつき、土には靴跡がつく。その経験の回数が、いつかきみの背をたたくだろう。振りかえるきみの顔には、わたしとよく似たくるしみの跡がきざまれている。その符合を合図に、わたしたちは、雪も砂も花も蹴散らして、自由のするどいきっさきになって、ダンスをはじめる。舞いあがる膨大なちりぼこりのなかで、擦過傷だらけのたがいの皮膚を譜面にして、もみくちゃのリズムで身体を跳ねあげながら。からみあう古びた線がちぎれてもなお、くぼみにとられる足が、あらゆる方向にくじけてもなお。