もぎに川下

 オーロラ沢がバタフライしていた。おれは伸るか反るかのところで自分のからだを信頼しきることができず、気合の声を張り上げながら足裏に刺さる砂利粒の痛みに耐えていた。
「ガンマ! いったれ!」
 橋の上からはライチたちが好き勝手にわめいており、時折きこえるへたくそな指笛が神経をやけにいらだたせる。その間にも、オーロラ沢は両腕をバッシャバッシャ水面に叩きつけてぐんぐん中洲に近づいていく。
「だまっとれや! ボケ!」
 頭上に啖呵を切って、草むらの方へと戻り、おれはそこから勢いをつけて助走していく。くそったれが、おまえらに言われんくても行くが! かったいかったい堤防をだっだと蹴りつけて、跳躍する全身が流線のフォルムをつくる。一瞬、水面がきらりとしたのが目に入った。魚だ。陽光を反射する、鱗のきらめき。魚が何でああいうかたちをしているのか、瞬時にわかった気がする。おれはいま中空を飛んでいる。しかし、ゆびさきはいつまで経っても着水しない。それどころか、さっきまであれだけうるさかった喚声も聞こえなくなっている。
「どうなっとう?」
 目を開けると、青だった。
「は?」
 上を向いても、青だった。バッシャバッシャとオーロラ沢が水飛沫を上げている。ただ、そのバッシャバッシャは音としては聞こえてこず、バッシャバッシャのうごきだけが爆発していた。
「どないな!」
 下を向きなおすと、青を横切る一本の太い線があった。橋だった。ライチが手を振っている。満面の笑みだ。
「なんじゃい、これは!」
 叫んでみるも、誰も反応しない。おれは天地逆になった水面の下に浮かんでいる。水面の下? いや水面の上? わからん、おれはこの状況がまったくわからん。14年間生きてきて、こんなわけのわからん事態は初めてや。オーロラ沢と、はじけとぶ水玉と、ライチの手だけが、世界の運動のすべてだった。
「おい!」
 自分の声は聞こえる。しかしほかの音がない。おれのきんにくはうごく。言葉も喋れるし、まばたきだってできる。だが移動ができない。標本箱にピン留めされた蝶みたいに軸が固定されてしまって、この位置からうごくことができないのだ。よく見ればオーロラ沢だってずっと同じ場所で同じうごきを繰り返しているだけで、前に進んでいるわけではない。とびちる水玉も、寸分の狂いもなく毎秒同じ軌跡をなぞっている。
「ぶざまな羽ばたきだな!」
 叫んだおれもそうだった。どんなにもがいても1ミリも進まなかった。ライチの笑顔が目に入る。鬱陶しい顔だ。だいたい、おれもオーロラ沢も、ライチがけしかけなければこんな早春に川に飛びこもうなんて気は起こさなかったのだ。水中と空中でバタバタするおれたちを悠々とながめながら、あいつは橋の上で笑って手を振っているだけ。ゆるせん。あとでぜったい殴ったるわ。
 血気盛んなおれたちは、理性なんかじゃ制御できなかった。いや、その理性すらもがアウトオブコントロールだ。ぜんぶが勢いのまま、はじまって、おわって、進んでいく。あの樹、なんだろうなっておれがつぶやいたときにはもうすべてが決まっていたのだ。あれ、食えんのかなってオーロラ沢が返事をしたときにはもうこうなることが決まりきっていたのだ。
 橋から見えた銀色の果実。太陽の光を反射してビカビカに輝いていたいくつもの果実。もぎに行こうぜとチャリを乗り捨てたライチは、我先にと河原の草をバキバキに踏みちらして川岸に突進していった。たわわに実った果実だけじゃなくて、川面もまぶしいくらいにきらきらしてらあ。おれは鼻を啜ってライチのあとを追った。オーロラ沢もキックボードをガードレールに立てかけて走ってくる。グンジョーも、やんピーも、リュックにつけたキーホルダーをガチャガチャ鳴らしながら草むらに分け入ってくる。おれの重みに耐えきれず、水流に削られ丸くなった石が靴の裏でころがる。つまずいたオーロラ沢がつんのめっておれの背中にぶつかってくる。おい、しっかりせえよ。肩を支えながら振り返ると、高い草の上を白い蝶がひらひら舞っているのが見えた。春は近い。春は近いぜ。