あなたの話をきかせてほしい

「感情が成立しないんだよ、わかるかい?」
「それはかたちにならないってこと?」
「かたちにならないっていうか、そもそもわきたつものがないってことかな」
「じゃあどうやってコミュニケーションをとっているの?」
「感情なんてなくたって、ひとは他人とやりとりができるんだよ。きみはいちいち会話や身ぶりのすべてに感情を沿わせているのかい。水を飲むために蛇口をひねるときも、家に帰って靴下を脱ぐときも、小説の頁をめくるときも」
「たしかに、ひとりでいるときはそうかもしれないけれど、だれかといるときはそんなことないんじゃない?」
「いや、そんなことはあるんだよ。現にいま、きみは何の感情を抱いてる?」
「え、いま。いま、いま、いま……」
「何も抱いてないだろう?」
「いや、そんなことは……ないと思うけど……」
「すぐ言語化できないってことはそういうことなんだよ。このことに気づいてからぼくはとってもやさしいきもちになれたんだ。みんなたいしてものを考えてないんだって。何かを言葉にしたり、何か行動してみたりするときに、ひとはちゃんとあたまを使ってないんだって」
「そんなこと……」
「あるんだよ。かなしいよな。でもそれをかなしいって思えるってすごいことだよ。世の中の大半のひとはそこで怪訝な顔をしたり蹴つまずいたりしないんだよ。ぴょんぴょんぴょんって軽々と飛び越えていってしまう、というよりも、まるで障害物がそこにないかのようにすたすた歩いていってしまうんだ」
「そんな……」
「しかもこのまったいらさの〈感じ〉は日々ひろがっていくんだ。際限なく、どこまでも。世のなかのあらゆるめんどうくささを解決するいちばんの手段はなんだと思う? 交換できるようにするってことさ。ぜんぶが交換できるようになれば、わけのわからないものやややこしくてこんがらがったものを抱えこむ必要はなくなる。交換価値、交換可能性、つまりは資本主義ってことだよ。ややこしいものは売っぱらってしまえば、もしくは買い取ってもらえばいいのさ。いや、ちがう、ぼくらの主体性なんてもうそこには存在しないんだ。資本が主体となってぼくらをうごかしているのさ。じゃあ、どうするか。バカでかいグローバル・ブルドーザーが均していく広野に、ぼんやりと突っ立っているくらいしかすることはないのさ」
「……」
 幕がゆっくりと落ちていく。照明がだんだんと暗くなっていく。巨大な重機が近づいてくるような音が次第に大きくなっていく。観客は誰一人席を立たない。劇場が軋みだして、塵埃が舞い上がる。壁に亀裂が入って外光が差しこんでくる。スポットライトのように、隣に座ったあなたを照らす。満杯の劇場は、押し黙ったままあなたを見つめる。