せんちめんたる・ぷらくてぃす

アナログデジタルしごとせいさく問わずさいきんもりもり書くことをしているわけですが、とても思考が整理されよい。もちろんセラピーにもなるので日々健康にちかづきつつある実感がある。ほんとうでしょうか? そんなに単純なものでしょうか?

でもほんとにおれは単純なんだ。並大抵のことは爆音で好きな音楽をかけたり、酒をしこたま飲めばどうでもよくなってしまう。だが、この「だが」にふくまれてあるdepressionに対する抵抗・反撃・逆襲としておれはものをつくっているのだ。人生のどうにもならなさを、音楽や酒でも解消されないやりきれなさを文学や芸術と呼ばれる場に投擲する、

オダサガに住んでいた頃通っていた相模大野の美容室の担当者が、草間彌生の「作品をつくることで生きながらえてきた/つくらなくては死んでしまう」というような話(大意、うろおぼえ)をきいてやっぱりひと味ちがいますよねみたいな話をふっかけてきた際にいやちがうもなにもほんとにそうだよなと思った、こちとら生きるために、死なないために作品をつくってんだよ、そこでおどろいててどうするんだよ、あたりまえの前提だろ、おまえにとってひとの髪を切ること、つまりは作品をつくることに対する情熱はそんなものなのかよとなってしまってそのお店にはそれ以来行かなくなってしまった。

でもこうして自らの覚悟を他者にも求めてしまうってのは酷なことだよ。窮地に行くしかない、けわしい道だよ、ばかのすることだよ。そんなばかがおれは好きだよ。


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最寄りの本屋がすこしまえにつぶれてしまったのだった。そんなに足をはこんでいたわけではないのだがやっぱりかなしいきもちになる。この町にはざんねんなことに古本屋もないんだよな、、いやチェーンの店はあるのだが個人のお店がいいじゃないか、、そういえば先日イロにカレンダーを買いに行った際にバサラブックスと百年にはじめて足を踏み入れたのだった、前者のラインナップと値づけ、よかったなあ、、後者はうちの会社がつくっていた――といってもおれが入社するずいぶんまえ――雑誌がけっこう置いてあってちょっとテンションがアガったがいかんせんおねだんが全体的にちょい高でしたね……貧困がきわまってなければ牛久保雅美の作品集が買いたかった、けっきょくバサラブックスエピステーメー平野啓一郎高橋源一郎を買って吉祥寺をひきあげたのであった。創刊準備号のページネーションカッコよすぎる……!

おれもビジュアル主体のページもの、つまりは映画のパンフやらアパレルのシーズンブックやら写真集のデザインがしたい、ワンウォールの公開審査会のときに大日本タイポ組合の塚田さんが「エディトリアルデザインだよ」とわたしの作品にたいして言葉をくれたのだがほんとそうなんだよ、編集編集、viva 編集!