進行方向への逆らい

他人の愛の亀裂を素直にかなしいと思えるのは、まだ愛みたいなものに幻想を抱けるからだ。

年相応、を考える。おれは会社では最年少で、大学時代も浪人していることもあって基本的に上の学年との関係性で生きてきたので、これまでそんなものを気にすることはなかったのだが、この歳で、まったくはじめて接する年下の人間とコミュニケーションをとる際の身ぶりや言葉づかいをふと思いなおしてみるに、ある種の子供っぽさが抜けていないことが露呈する、というかそんなものがもしあるとしてもはなから抜くつもりはなく、大人気(おとなげ)なんてものをぶちのめしてやりたいとつねづね思って生きているわたしは年相応などというクソみたいな枠のなかに自らのすがたを見いださないし、見いだしたくない。もちろん、まわりのひと、すくなくともちかしいひとびとにも、そんなフレームのなかでとらえられたくもない(わがままなやつ!)

そのあたりの障壁を、みんなはどうやってくぐりぬけてきているのだろう? それともたいした葛藤もなく大人になっていくのかい? 女はみんなクソだって、こじらせてクダをまいてる高校のときの同期にいつまでそんなこといってんだ、っておれはこないだいったけれど、それとおなじ言葉がおれにも返ってくるのかい?

その友人に恋人ができればきっと認識があらたまるように、ちゃんとした(いったい何が?笑)後輩ができればおれも変わるのかもしれない。


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原美はまあ、、、という感じ、おれが美術史をちゃんとおさえていたらまた印象が変わるのかもしれないけれど展示構成にやる気をあまり感じない、、


ひさびさにコミティアへいった。よく買っていたサークルの半数はまだ活動していてうれしいきもちになった。かつてはいくたびにおれも本を書きたく/だしたくなっていたのだが、今回はあまりそういうきもちにならなかった。自分の興味の変化をこうしてしっていく。

だいぶ熱気もすごく、ティアマガは13時台には完売していたようである。いまさらあたらしくサークルを見つけていざ新人発掘、みたいな熱量はもう死んでいるかと思われたのだが、ちゃんとおもしろそうないくつかのサークルを発見し、何冊か本を購入したのでおれもまだまだ捨てたもんじゃないなとほめてやった。ていうか死んでたらおわりだよ、未知への好奇心を失ったときが編集者生命のおわりだよ、懐古趣味になったまったときが、あの頃はよかったといいだしたときが、しらないものに手をのばさなくなったときが、おれの人生のおわりだよ、