おれはつくるよ

GW、まいにち飲み会の予定を入れてしまって、まいあさ起きるたびに胃がぐわぐわ、大丈夫かおれ? 明日が最終日とはいえ、なんとか生きていこうな、こうやって自分にいいきかせて生きています、26歳、たたかいの年だよ、今年は。

わりと年齢のことを考えてしまう。たとえばあと数年いまの会社ではたらきつづけて、どのようにわたしは生きているのだろう。はやく独立したいきもちもあるのだが、なんだかんだいって自分ひとりではできないような経験をさせてもらっているので(だって、ローマ法王がおれのつくった本を読んでるんだぜ? 信じられるかい?笑)、そこはちゃんと享受して日々を過ごしていきたい、でもそんな甘さが命取りなんだ、この甘さ、いつまでたってもなおらないんだねえ、、甘ったれたこといってんじゃねえって、つめたいナイフでえぐってほしいよ、

いらいらする演劇を観た話、観客であるわたしが、なぜ知り合いでもなんでもない演者の境遇などに意識をはたらかせる必要があるのか? 強度の根拠をそんなところにもってくる態度に腹が立つし、演じている側だってそんなの報われないだろう。話される内容が退屈なエピソードであることと、秘密を話すことの劇的さはべつのものだ。

ぼくのすーぱー大好きな美術家・小泉明郎の《最後の詩》があまりおもしろくないことと、通じあうつまらなさだった、ていうか何でも演劇の問題くっつけりゃいいと思ってる感がうざい、まあでも事後的な発語としての誤解進行一方的コミュニケーションを思うに正直どうでもよさばかりが頭をもたげる、また次に会ったときにはもっと信頼しあえるような会話をしたいと、やっぱりそこで歯を食いしばっていくのが言葉で生きるってことでしょう? これも甘さだというなら死ぬまでつきあっていくしかない。

現代詩手帖2018年5月号、けっこうしっかりと選評で言及されています。ぜひ読んでみてください。

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