毅然、単独でのシャーベット行

作為に支配されずにいるためには時間をかけないことが有効だと思った。作為に支配されずにいる必要があるかはべつのはなし。

帰りの電車、熱をやたらに放熱するひとがいる。

TOLTA『人間関数―トルタオーディオブック』@北千住BUoY、おもしろい朗読のパフォーマンスの実現はむつかしいということを痛感させられる、単独でのいい朗読もさまざまな意匠によって攪乱され、台無しになる、演者と観客の混濁ということでいえば東京デスロックの試みに太刀打ちできていなかったと思うし、大半の出演者が演ずること/朗読することに対する自覚を以てパフォームをしているようにみえなかった、何かをひとまえでリアルタイムにおこなうことという地平において、「詩の朗読」が演劇やダンス、ライヴ、美術に対して互してたたかっていくにはまだまだ歴史=文脈の構築が足りないと思わされた

ちなみにいままででぼくがいいなと思った朗読は、エビスミュージックウィークエンドで観た和合亮一×Gotchのパフォーマンスと、ポエケットで観た三角みづ紀くらいしかない(まあ大した数は見ていないので高は知れているが)

それと、会場となったブイは、トイレもなければ電気もきちんと通っておらず、粉塵まみれのこんなんでよくイベントを打てるなという心底クソみたいな環境で、ちゃんと完成してからスケジュールを組むべきだったのではと思わざるを得なかった、廃墟自体は好きなのでその点ではよかったけれども。

アフタ-マス『くらしを豊かにするマフィンのつくりかた』@三鷹カフェハンモック、役に寄りかかった芝居による、散漫なシーンの連続、断絶の力がない、だらだらとした物語、テキストの魅力がない、暮らしの話なのに、生活がない、つまりディティールがない、とても記号的でフラット、肉がない、凹凸がない、起伏がない、その"無"の前景によってたちあらわれるものに退屈の二文字以外の言葉を見いだせなかった、つまり演出は力能を発揮できていなかった、べつのもの、あまりアートや演劇に興味をもたないひとにもおもしろいと思ってもらえる作品を、といっていたがこれでは不能だろうと思った、トークは一転おもしろかった、美術史をたいして学んでいないおれには梅津庸一の絵はよくわからないが話がうまいなーとみていた、場をきちんとつくろうという意志がみえた、パープルームの展示を観たばかりというのもあってか内容もおもしろかった、ナディッフのも観にゆけるとよい。

クエイ兄弟―ファントム・ミュージアム@松濤美術館、はじめていったがいい建築だった、白井晟一ノアビルとかいかすよな、展示自体はまあまあ、舞台装置であるミニチュアにワクワク、映像をもっときちんと観たかった、神奈川でやってるときにいっていればちゃんと観れたのだろうか、

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ベルギー奇想の系譜@Bunkamuraミュージアム、ここもはじめていった、2点ほどでていたボレマンスがよかったのでナディッフで作品集を一冊買った、原美での個展にいっとけばよかったな、これも展示全体としてはまあまあ、後半部の現代のベルギー(とくにスカルプチュアが興味深かった)時間をもてあましていなければ決して足を踏み入れない展示だったのでその点を考慮すればめっけもん! という感じ。