森めいたうごきを教える/先生ですからね

本を読むことは左翼になることである。そういいたくなるほどに日々左へすすんでいる気がする(廣瀬純の「~である右翼」、「~になる左翼」に対応して?)。小学生のころを除いていちばん読書している。いま読んでいるのは、鈴木大拙『日本的霊性』、現代詩手帖2017年6月号、レーニン『国家と革命』、絓秀実・木藤亮太『アナキスト民俗学』。それぞれべつの場・時間に手に取っている。直近ではユリイカ2017年6月号がアウト(読了)、すばる2017年7月号、スペクテイター39号がイン。

佐藤満夫・山岡強一『山谷―やられたらやりかえせ』。なんていいタイトルだろうか。映画の出来がいいかどうかは措くとして、命がけで作品をつくるというのはこういうことだと心がゆさぶられる(本作の監督は、ひとりは撮影中に、もうひとりは完成後にヤクザに殺害される)。日本全国の寄せ場を紹介するシーンが途中ではさまれるのだが、その際にくりかえしかけられるドラムの効いたBGMがおもしろい。

ロバート・クレイマー『アイス』。60年代末期のひりついたアメリカで革命のときを待つ若者たちを描いた劇映画。ぜんぜんピンとこず寝てしまった。同じ「革命の映画」でも『チリの闘い』の方にシンパシーを感じる。メカスはどこにでていたんだ?

生まれてはじめて吉原にいった。いったといっても町をふらついて新吉原の手ぬぐいやカストリ書房の棚をながめたくらいだけれども(記念にすけべえなステッカーを買った)。浅草、山谷、吉原とじっさいに歩いてみることで、その土地の関係性に思いを馳せたり、その空気をあじわうのはおもしろい。つぎはあの古めかしい店で天丼を食いたい。

石井裕也『夜空はいつでも最高密度の青色だ』。誰に向けての映画なのだろう、と思ってしまうなぞの文体(意欲的なカメラワーク、イメージ操作)にまず目をひかれる。そりゃもちろん若者だよなと思いなおす。福間健二のスタイルを想起したけれども、こちらはやっぱり若さがほとばしっている。こちらの欲望を着火させるようなエネルギー。その横溢が、すっかり身体化してしまった都市をからだからひきはがし、みなれた渋谷と新宿を映画として立ち上げる。反復運動のカタルシス

内容としては、震災やテロなどがからめられ、ずいぶんポリティカルなつくりになっていた。原作は積み本になってるので何ともいえないが、最果タヒってこんなんだったっけ? という驚きとともに観ていた。その驚きは、本作が原作モノのすばらしい映画化であることを何ら貶めるものではない。でかい世界に対峙するわたしの生活を、ていねいに、誠実に送ってゆくこと。

新宿バスタに降り立った主役ふたりの奥にみえるルミネの広告「言葉に頼りすぎると退屈な女になっていく」、サイコーだったな。そして何より、池松壮亮、ファンになった。