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脱ぐ日、触れる日、

殺意でいっぱいだ。いい傾向だと思う。何かを為すための原動として、殺しのきもちはたいせつだ。ひととすれちがうたびに発火する悪意が抑えられない。おれはいつかテロを起こすだろう。むしろおれがテロだ。存在としてのテロ。すでに起きているテロ。テロリストとして思考すること、生活すること。日常のなかに意識的ポリティクスを行使せよ。

クリーピーを観た。ほんとにすばらしかった。川口春奈が広い室内空間を歩きまわりながら長台詞をいう長回し。あんなに照明に感動したことはないよ。大きな窓の手前で交わされる会話の背景で、ゾンビ的身体が発する生理感覚的なおそろしさ。ホラーという手法によるあらたな映画文法の発明(達成?)、そんなことを思った。黒沢清は『アカルイミライ』、『カリスマ』、『蜘蛛の瞳』、『トウキョウソナタ』あたりがとくに好きなのだが、またあらたなお気に入りが増えた、というかいちばんよかったかもしれない、とこのきもちをわかちあうためにほかのひとはどんな風に観ていたのだろうとGoogle先生に尋ねたのだが、酷評ばかり目に付き、とことん日本の〈映画状況〉にぜつぼうしたのだった。いったい何を観ているんだよ……(向こうからすればおれに対してもおなじ言葉が返ってくるのだろう)。

そのすぐあと『淵に立つ』を観た。こちらも照明が巧みなおそろしい映画で、新文芸坐のプログラム組んでるひとはサイコーだなと思ったのだった。またちかぢか『ヒメアノ~ル』/『ディストラクション・ベイビーズ』というアツい二本立てを観にゆく。

東京にこにこちゃん『傷、何も癒えなくて…春』も観た。にこにこちゃんはほんとうにひさびさだ。2年ぶりくらい? おもしろかった。以前の印象から比べると、おもしろさの底上げというか底辺ががっしりと組まれた感があった。役者のスキルによるところが大きい。話としては入学式と卒業式をループする高校生の物語で、学園もの(ごくせん、GTO金八先生……)の引用に次ぐ引用をつぐとよ流の〈露〉のユーモアによって再解釈した構成となっている。〈露〉のユーモアとはなにか。あらわにするということである。登場する人物たちは自己のキャラクターを暴露していくことでわらいを勝ち取る。過剰なほどのデフォルメをほどこされた身体は、「黒歴史」としての時間をそのうちに有している。つぐとよはそれを暴き、傷つけることによってわらいに昇華する。タイトルに示されている「傷」は、本作では思いでの蓄積の代償として提示される。蓄積の否定としての反復は、一見矛盾する。深いひとつの傷から、浅い多くの傷へのうつしかえでしかないからである。しかし主人公は中盤、反復を否定し、自らを深い傷を負いうる時空間のなかに曝す。その選択に後悔しつつも、これでよかったのだと彼女は学舎を巣だってゆく。何も癒えないままの春。しかし言うことはできる。彼女のなかには、多くの深い傷とともに、思いでの蓄積が残されているからだ。おれはひねくれているので教訓的で安易な着地が気になったが、なんどもわらわされたし、いってみれば先日観た昭和喜劇『二等兵物語』的なたのしみかたができたのだなと思い返している。