(通りすぎる宿命としての)折れる名前の反発

ヨアキム・トリアーの『母の残像』を観た。彼が立つ場所は文学である。文学からの沸騰/要請がカメラを回し、演出をかける。ここで名指す文学とは詩でもある。言葉に頼りすぎてどうしようもなくなってしまう映画がよくあるが、彼はその悪弊に陥らずに「映画的」に映画を自立させている。

長編第一作『リプライズ』では、、、、、。
つかれたな。おれはつかれたよ。
とにかくヨアキム・トリアーはめっちゃいい。とくに『リプライズ』。ラース・フォン・トリアーももちろん好きだけれど、あんなに暗くないし(『ボス・オブ・イット・オール』はまだしも、『イディオッツ』とかあかるい雰囲気をもっていておかしくないのにくらーい感じでしょ、いいよね)。とはいえ『オスロ、8月31日』なんかは陰鬱な00年代邦画的アトモスフィアをかたちづくっていてそれもまたいいんだ。

明日は休みだ。ハッピー。