書き留められた悪意の所在について

わからないことが多い。わかるひとたちはたいへんだと思う。わからないわたしに対峙する点において。納得できるところに着地するためにわたしは言葉を費やすが、埃のかぶった時間の層をうらがえすのにもたいへんな労力がいる。とはいえ、わからないままにしておくことに耐えられるほどわたしの骨はやわらかくないのだった。社会とのあいだに起きる軋轢が、あたらしいひとたちの、あたらしいコードとなって点灯していくことを想像する。けっして健康ではない書き換えのしかたで、ぼくらは生きのびることを選択するだろう。

さいきん好きなものを観返して自分を取り戻すことをしている。『ドッグヴィル』や『籠の中の乙女』など。どちらも犬だった(籠の中の乙女は原題が『Kynodontas』= dogtooth = 犬歯だ)。犬が飼いたいな。犬を飼いたいな。犬、犬、銀牙シリーズがすきだよ。赤目とかカマキリとかいろいろすきだよ。飼うとしたらシェルティがいい。シェットランドシープドッグである。

先日実家へ帰った。わたしがここでも取り戻される。帰った当日にアイスを買ったのだが、いまになってそれを食べずに冷凍庫にしまったままなことに気づいた。ハーゲンダッツ……。

倫理的に生きる、誠実に生きることのむつかしさについて考えること。傷つかない/つけあわないための器用さよりも、傷にふれる/ふれあうための繊細さを大事にしたい。