ゲームしない、ゲインする

カルカソンヌの一夜』を読んだ。哲学者シモーヌ・ヴェイユと、詩人ジョー・ブスケが邂逅した夜のこと、それからその後に交わされた5通の書簡についての考察。ブスケの唯一の邦訳書『傷と出来事』は一昨年に読んでおおきな感銘を受けた本なので本作も読んだのだけれど、論文的であまりおもしろくなかったかなあ。ヴェイユのことをもっとしっていたのならたのしめるのかな(ヴェイユに対する興味は芽生えた)。ベッドに寝たきりのまま、女をとっかえひっかえ部屋によく呼び寄せていたブスケはちょうどいま(と書いてから数ヵ月経ってしまった……)話題の「乙武さん」的な感じだなと思った(思/詩想的にはまったくちがうけれど)。

論文といえばこれもめちゃ前に読みおえた本だけれど、ナタリー・サルトゥ=ラジュの『借りの哲学』はそつなくまとまった卒論みたいな感じで読みやすかった。何度も同じ意味の文章を繰り返す感じとか、強引な飛躍とかもあってたのしい。さいきん宗教の本を読むことがふえていて、この本でもキリスト教のイエスに対する負債の論理などがおもしろかった。ヴェニスの商人とかこれ読んではじめて話の筋をしったよ。

いまは井筒俊彦を読んでいる。『イスラーム文化』→『意識と本質』という流れ。おもしろい。仏教、ヒンドゥーイスラームのものの見かたに刺激を受ける。読みおえたらまた何か書くだろう。エッセイ集たかいけどほしいな。この流れでちかぢかモスクにいこうと思っている。カンドゥーラ(アラブ人が着ているまっしろいローブみたいなやつ)がほしい。イエジー・スコリモフスキ『エッセンシャル・キリング』のヴィンセント・ギャロかっこよかったなーとカンドゥーラのことを考えるたびに思う。『イレブン・ミニッツ』も観にいく。こう人文系の本を読んでいると大学時代もっと勉強しておけばよかった、という考えがあたまをよぎることがあるけれども、それは幻想でしかないと思うし、じっさい勉強していたとしてもべつにいまが「よく」はなってないだろう。時間の流れ、を気にしているのか? 天皇制は時間を支配しているって、いわれてみればそうだよなって思った。死んだら年号かわるのだものね。網野善彦とかをひろい読みしながら、だらだら考えている(何を?