何かを抱きしめる姿勢

とくに何かあるわけではない。いや、そんなことはなくて書きたいこともたくさんあるのだが、時間を置きたいと思ってしまう。距離を取りたいと思ってしまう。満員電車で抱きあうカップルがちかくに二組もいて、そのうちひとりのおんなの爪がおれに刺さって、とくに謝罪の言葉もなく、おそらくおれへの感覚もなく、愛はもっとひらいていていいんじゃないかとか思って、孤立することで自分を守るのではなく、つつみこむフォームのありかたを志向したいとか、それでいて角は立ちつづけているとか。

感覚が論理となっていく課程と、論理が感覚になっていく課程のちがい。

指のいちぶがもげてしまってなんかさいあくだ。わたしの治癒力はどこまでかたちを元通りにできるのだろう。

昨日、友人の撮った8mmの映像をみて(映写機うらやましい!)、コダックのあたらしいスーパー8はぜったい買うぞという思いをつよくした。

ドアのたもとで座りこむあなたのまなざしの先に、どうか言葉がありますように。おれはいまだいぶまえに買った中上健次の『十九歳のジェイコブ』を読んでいるよ。きみはいったい何を読んでいますか。