もともとの機嫌や気分の霧散

街を歩いていたり、ひとりで家にいたりするときなどにふと訪れる劣等感やむなしさみたいなものとどう折りあいをつけたらいいのか、いまだにそんなことでうじうじとしており、今日も今日とて眠れぬ夜を過ごしているわけであります(5日前)

咳がおさまってだいぶ楽になった(3日前)

マジで不眠がヤバイ。そろそろおれも眠剤のちからを借りるときがきたか(2日前)

詩集の編纂を本格的に始めた。判形やページ数、おおまかな造本はたしか2月ぐらいにはもう決めていて、台割もほぼ未決定とはいえつくってあったので、今日は掲載候補の詩編を選出していた。

おれが詩を書き始めたのは2013年の4月だか5月だか6月からで、その年の秋あたりから『現代詩手帖』に投稿を開始した。いちばん最初に作品が――といっても佳作なので名前とタイトルだけだが――掲載されたのは『ユリイカ』の2014年6月号だった(『グランド・ブダペスト・ホテル』公開にあわせたウェス・アンダーソン特集だった、『犬ヶ島』たのしみっすね!)。イメージフォーラムに何か、たぶん『ひなぎく』かな? を観にいったときに青山ブックセンターの本店(六本木店の閉店かなしすぎるよな、森美にいくたびに寄ってた気がするよ、、おれの編集した本も並んでて感動したな、)でそれを確認して、めちゃくちゃうれしくなったのをおぼえている、だってそれまではうんともすんともで、おれの作品ははたして選者にちゃんと読まれてるのか? とかうたがってたくらい、でも翌月から詩手帖にもぽつぽつと名前がではじめるようになる、


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当時は『ユリイカ』効果で下読みを突破するようになったのかなとか思ってたりしてたのだけれど、後年福間健二(詩手帖投稿期のさいしょの半年くらいの選者のひとりである、ちなみにわたしが詩に興味をもつきっかけとなった作品が彼が監督した『あるいは佐々木ユキ』である、作中にでてくる文月悠光の詩「横断歩道」がカッコいいんだ、、)に会った際に「読んでましたよ」といわれちゃんと読まれてはいたことがわかる、これもうれしかったな、じっさいいまその頃の詩を読み返してみるとそりゃ載らないわなって感じ、ちなみに『ユリイカ』はぜんぶで3回くらい投稿してやめてしまった、載ったときがはじめての投稿だった、そのときの選者である日和聡子とはのちのち詩手帖の投稿欄でも再会(?)してなんどか佳作や入選作に選んでもらった、日和さんありがとういつか会ったときにお礼を伝えたい、だってはじめてこういう場で自分の詩をぐいと引き上げてくれたひとだから、ほんとうに感謝です。

詩集のために詩を選ぶのは、そんな回想を誘発するような作業で、ひとまず作品を40数篇までしぼったところ。思っていたよりもいっぱい書いてたんだなあとちょっと感慨深くなる、おおまかな構成も決まってきて、はやくもこころがわくわくしている、でもすぐれた詩集っていったいどんなんだ? と首をかしげまくっているので今年の夏は積んでいる詩集をガンガン読みすすめてゆこうと思います。でもどちらかといえば、本じゃなくて音楽の、めちゃくちゃいいアルバムみたいな、そういう方向性目指したいです、乞うご期待!

離島から掘る貝の底値

風邪をこじらせて寝込んでいる。ふつうにつらい。することがないので気合いをいれて料理をつくったのだが食べるのはおれひとりである。自分のかかえるさびしさをかんたんに他人になげうってはいけないと思う。このブログもさいきんはすこぶるアクセス数が少なく、よく更新していた頃は平均してまいにち5-6人程度の集客があったのだが、いまは0-1人とかである。どちらにせよひとけがない。

こういう誰にも読まれない場所にだらだら長文を書くのが好きだし、そういうブログが大好きだ。PC環境があった頃(もう7-8年前とかだ)はそういったたぐいのブログをよく巡回していた。はてなダイアリーの新着から気になるタイトルの記事にアクセスし、おもしろそうなものだけブックマークに追加して読みすすめていた。たいていすぐ更新されなくなったり、ブログごと消えてしまったりするのだが、どこかに生きているみしらぬ誰かの、日常で培われる思考の流れがこうしてわたしの目に触れている、しかも誰も見ていないような個人のブログを通して何らかの関係性がそこに生まれる、そういうことにいちいち感動して、一生会うこともないだろうひとの生活に一喜一憂していた。


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韓国旅行記もこうやって途中でおわってしまうのだね、ジョナス・メカスはほんとうに最高だよ。イム・フンスンもよかったよ。あとパク・キョングンね。


誰の人生だって、ほかの誰かのために消費されるエンタメじゃないんだよ。でも、そんな人生が誰かを救うことだってあるんだよ。わたしの意志とはべつのところで、わたしが作用していくことに可能性やよろこびをおぼえる。輪切りになりたい、うつぶせのままスライスされたいとさいきん思うのはそうした欲望のあらわれかもしれない。

いまはスピッツを聴きながらこの記事を布団のうえで書いています。旧譜レコードリリースですーぱーテンションアガってたわりには、リアルタイムで新譜を買ったことがないかもしれない。好きなアルバムは『三日月ロック』と『スピッツ』です。こないだひさびさにいったカラオケで「大宮サンセット」を歌った。夕日なんてさいきんずっと見ていない気がする。

〈韓国文学のオクリモノ〉シリーズを読みすすめていこうと思います。

進行方向への逆らい

他人の愛の亀裂を素直にかなしいと思えるのは、まだ愛みたいなものに幻想を抱けるからだ。

年相応、を考える。おれは会社では最年少で、大学時代も浪人していることもあって基本的に上の学年との関係性で生きてきたので、これまでそんなものを気にすることはなかったのだが、この歳で、まったくはじめて接する年下の人間とコミュニケーションをとる際の身ぶりや言葉づかいをふと思いなおしてみるに、ある種の子供っぽさが抜けていないことが露呈する、というかそんなものがもしあるとしてもはなから抜くつもりはなく、大人気(おとなげ)なんてものをぶちのめしてやりたいとつねづね思って生きているわたしは年相応などというクソみたいな枠のなかに自らのすがたを見いださないし、見いだしたくない。もちろん、まわりのひと、すくなくともちかしいひとびとにも、そんなフレームのなかでとらえられたくもない(わがままなやつ!)

そのあたりの障壁を、みんなはどうやってくぐりぬけてきているのだろう? それともたいした葛藤もなく大人になっていくのかい? 女はみんなクソだって、こじらせてクダをまいてる高校のときの同期にいつまでそんなこといってんだ、っておれはこないだいったけれど、それとおなじ言葉がおれにも返ってくるのかい?

その友人に恋人ができればきっと認識があらたまるように、ちゃんとした(いったい何が?笑)後輩ができればおれも変わるのかもしれない。


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原美はまあ、、、という感じ、おれが美術史をちゃんとおさえていたらまた印象が変わるのかもしれないけれど展示構成にやる気をあまり感じない、、


ひさびさにコミティアへいった。よく買っていたサークルの半数はまだ活動していてうれしいきもちになった。かつてはいくたびにおれも本を書きたく/だしたくなっていたのだが、今回はあまりそういうきもちにならなかった。自分の興味の変化をこうしてしっていく。

だいぶ熱気もすごく、ティアマガは13時台には完売していたようである。いまさらあたらしくサークルを見つけていざ新人発掘、みたいな熱量はもう死んでいるかと思われたのだが、ちゃんとおもしろそうないくつかのサークルを発見し、何冊か本を購入したのでおれもまだまだ捨てたもんじゃないなとほめてやった。ていうか死んでたらおわりだよ、未知への好奇心を失ったときが編集者生命のおわりだよ、懐古趣味になったまったときが、あの頃はよかったといいだしたときが、しらないものに手をのばさなくなったときが、おれの人生のおわりだよ、

咳止めは飲まないし欠席もする

飲みきったゴールデンウィークだった、各日2、3、2、2の人数、深まる夜もあれば、薄っぺらな夜もある、いったい何をおれは求めているのか、相応の覚悟もないことばかりか、すべりつづける卓上の醤油差しは口からとめどなく流しつづける、ギョーザは何もつけずにお召し上がりください、萬金のギョーザ、また食いにいきたいな、さいきん家でつくっていないな、うまいものを食う、それがたすかるみちですね? 龍角散を頬の奥に追いやって、ただただ風邪を引いてしまってつらい

cavern of anti-matterの『hormone lemonade』、かっちょよいです 。とくに1曲目(YouTubeにないのでべつの曲を張ります)。ミニマルミュージックはやっぱり1曲1曲が長くなくちゃね!

アップダウンがはげしいな、さいきんは筋トレをしている、一週間のうちの4-5日、いちにち3分程度に過ぎないが、、もう3週、4週目くらい? 見た目はかわらないがベルトはゆるくなった、とはいえ元々はもっとほそかったはず、、(と、かつて買ったしぶめミドリのださかわジャージパンツを履くたびに思う)体重計を買いにいかなくちゃ、姿見とテーブルも買って、でももし引っ越すとしたらいま家具を増やすのは得策ではない、、、ひさびさに会う友人が太っていることが多い、不摂生、30になるころ、お腹がでっぷりでていたらやだろ? おれも18以降は52-56kgくらいをキープしつづけているのでこのままぜーにくを減らしてきんにくを増やしていこうな。

多和田葉子田中小実昌を交互に読んでいる、こみまさも一発で変換できないクソIME、、おれは今月スマホを買い換える(じっさいに買うまでなんどもくりかえし自己暗示する)、そんな金どこにあるのか、社会人になってからお金の心配とか、ほんとにびんぼうだけれどたいしてしなくなってしまって、(わたしの給与の雀の涙さ、、フリーで受けているデザインのしごとを増やしたい、切実に(だって生きていけない、水溶き小麦粉に調味料かけて食っていた、大学時代の、貧困のピーク、下を見ないことだ、たいていのものごとはなんとかなるってずっと思ってるから、そういうところで摩擦が起きてしまうんだろうね、仕方ないねってさらにまた火種がころがってゆくね、(奨学金、返せる日とか想像できます?

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いまはいちばんテリトリーがでかい、いつだっていまがいちばんテリトリーがでかい?(しかもいまは部屋もひろびろ、びろろん、)おれは定刻主義者ではないが帝国主義、もちろん反発はするが、イメージを高めていく日々を過ごしていきたい、今年は写美の年間パスポートを買ったので例年よりももっと通おう、企画展は4回まで無料だし、収蔵品展はなんどいったって無料だよ(同伴者も!)、光画展は野島康三の撮る女の顔、表情のすごみがよかったな、ディテール、『リズと青い鳥』も細部がよかった、ちゃんと芝居するアニメーション、ブレスの音や足音にまでこだわった音響設計、ひとりひとりのキャラクターの歩き方や行動の癖までもをていねいにひとつずつ演出づけていく、、、でもていねいすぎておれはちょっとたるかったよ、『レディ・プレイヤー1』みたいな気のききかたしてたらよかったのかな? どっちもゴールデンウィークに観た、ほんとは『ラブレス』も観るはずだったけれど!

ダープロの新譜もめちゃんこたのしみ!

おれはつくるよ

GW、まいにち飲み会の予定を入れてしまって、まいあさ起きるたびに胃がぐわぐわ、大丈夫かおれ? 明日が最終日とはいえ、なんとか生きていこうな、こうやって自分にいいきかせて生きています、26歳、たたかいの年だよ、今年は。

わりと年齢のことを考えてしまう。たとえばあと数年いまの会社ではたらきつづけて、どのようにわたしは生きているのだろう。はやく独立したいきもちもあるのだが、なんだかんだいって自分ひとりではできないような経験をさせてもらっているので(だって、ローマ法王がおれのつくった本を読んでるんだぜ? 信じられるかい?笑)、そこはちゃんと享受して日々を過ごしていきたい、でもそんな甘さが命取りなんだ、この甘さ、いつまでたってもなおらないんだねえ、、甘ったれたこといってんじゃねえって、つめたいナイフでえぐってほしいよ、

いらいらする演劇を観た話、観客であるわたしが、なぜ知り合いでもなんでもない演者の境遇などに意識をはたらかせる必要があるのか? 強度の根拠をそんなところにもってくる態度に腹が立つし、演じている側だってそんなの報われないだろう。話される内容が退屈なエピソードであることと、秘密を話すことの劇的さはべつのものだ。

ぼくのすーぱー大好きな美術家・小泉明郎の《最後の詩》があまりおもしろくないことと、通じあうつまらなさだった、ていうか何でも演劇の問題くっつけりゃいいと思ってる感がうざい、まあでも事後的な発語としての誤解進行一方的コミュニケーションを思うに正直どうでもよさばかりが頭をもたげる、また次に会ったときにはもっと信頼しあえるような会話をしたいと、やっぱりそこで歯を食いしばっていくのが言葉で生きるってことでしょう? これも甘さだというなら死ぬまでつきあっていくしかない。

現代詩手帖2018年5月号、けっこうしっかりと選評で言及されています。ぜひ読んでみてください。

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不全のマイナス(累乗、累乗、

家からWi-Fiがなくなってひさびさに通信制限なんかにかかったりしてネット環境がままならない状態だったのですが月がかわってなおりました。今月はあたらしいスマホを買おうと思う。いつのまにか4年も経っていた。本体自体も不具合多いし、表示がおかしいサイトや使えんアプリもごろごろでてきた、Androidは4.4.2、おニューになってく5月は夏めく。パーマもかけたし、コンタクトもつくるよ。

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