真摯さの強制誘発対話ゲーム

あるひとつの真摯さがあり、それは他者の真摯さを強制するが、完全にひきだすことができるかどうかはわからない、あくまでも誘発の域にとどまること、その境目でなされる「よくわからない」という一言ですべてを片づけられ、対話はなされず、一方的に切り捨てられる、もしくはそうした放棄と似たようなものとしての、パフォーマンスのあとで、たがいにステージの外でたたずんでいる際にぽつりと語られるひとことの所在(倫理は継続せず、断続する、だってずっとじゃ息苦しいからね、)

「踏み外さない対話」などはもちろん幻想で、不可能なことなどわかりきっている、でもその地平からものごとを為す、話す、かかわることが、かならず「よい方向」にゆくための道すじをつくるはずだと信じる、信じあう、それが強制ゲームでしかないというのなら、おれはこの手に何をにぎりしめられるのだろうか?

倫理性の極限は自殺である。その結末の手前で、宙吊りであること。わたしはそのもがきを肯定する、したしげに肩をたたく、たのしげにわらいかける、やわらかく抱擁する。わたしが支持しようとしている真摯さの交信の絶対化をつきつめていくことは、エリーティズムへと荷担することと同義であるように思える。だが、個個人の絶対性、固有性、タマシーみたいなものを信じることは、はたして選民主義といってしまえるのだろうか? わたしがファシズムに対して抱いているかすかな希望みたいなものを腑わけしてみれば、そこにはやっぱりひとを信じたい、あなたを信じたいというつよい思いが見つかるような気がする。

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歩行速度ではない亀裂のありよう

3年ちかくつきあった恋人とわかれて、とっても傷心状態なんですが、ただ、ふしぎと受け入れている自分がおそろしい、まいにち胃薬を飲んでるんだけれども、どこかはればれとしたような、おたがいこれからもべつべつのみちでがんばっていこうな、みたいな、こんなにものわかりがよくていいのかしら? もっと必死に食い下がってもいいのにな、とかよくわからないきもち(はじめての失恋ということもある)で、自分の心を守るために出来事を身からひきはがしていく、つまりは言語化を通して客観化を図っていく、自己セラピーをしている、どこまでいっても自分しかないということにおどろくとともに確信を得ていく、すべてがばからしくなると同時にこのあらたな摩擦熱を未来への一里塚として肯定する、その心境は単なる防衛本能として回収されてしまうのだろうか、とか、そんなことを考えながらとうとうおれも26歳になってしまったのだなあ。がんばっていきのこっていこうな。

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壁越しの通信(なけなしの優心

韓国旅行記はおやすみで告知です。

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第18回グラフィック「1_WALL」のファイナリストに選出されました。
来週の2/20(火)から3/16(金)まで、銀座ガーディアン・ガーデンにてファイナリスト6名による展示をおこないます。

わたしの作品は現代詩手帖への投稿作を中心とした数編の詩とグラフィックを衝突させ、そこに亀裂を生じさせるようなものを企図しています。
詩からグラフィックへの殴り込みであると同時に、グラフィックから詩への侵犯といいうる、そのような展示にしたいと思います。

会期中は毎週土曜日(2/24,3/3,3/10)在廊予定です。
開館時間は11:00-19:00。日曜休館です。
ぜひあそびにきてください。

詳細

さっきゅう、浜辺を歩く、ふりでゆく

いっこまえ

韓国国立現代美術館ソウル館に着いたのは20時すこしまえだった。ロッカーの使い方を日本語で教えてもらって、ああさすが美術館スタッフ! となりながら受付へむかう。ここは18時以降は無料で観覧できるので、にこやかなおかっぱの男性にこれまた日本語で対応されながらチケットを発券。閉館は21時なので、明日のための下見だなというモードで展示を観てゆきます。


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美術館のちかくにたっていた


まず足を踏み入れたのは韓国美術家賞2017。今年で6回目になる国家主導(主催のかたわれが国立現代美術館だからこう書いたけど、まちがっていたら教えてください)のアワードで、まいとし4名の現代美術家がファイナリストとして選出され、プレゼンやら展示やらをやってグランプリをきめている。1_WALLみたいだなと思いつつ、こっちはすでに活躍している作家たちのためのコンペティションで、公式サイトで「The Korea Artist Prize is the most prestigious award for recognized Korean artists. 」と謳われているとおり、韓国の現代美術界にとってでかい賞であることがうかがえる。


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展示のさいしょに置かれていたのは、森や滝、絶壁などにたたずむ制服姿の少女たちを描いているサニー・キムの作品。あまりピンとこなかったので写真を上記のものしか撮っていないのだが、これは舞台セットのようなでかいペインティングに生身の少女たちがパフォーマンスをしている映像をプロジェクションした作品となっていて、そのメディアがまじっている感じ、現実と非現実、空間と時間といったような二項対立をおもしろく思った。


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つぎはペク・ヒョンジンのインスタレーション。孤立した部屋をつくって、そのなかにペインティングやテキスト、オブジェをちりばめる。中心となっていそうな机に置かれた数々のテキスト(部屋に入ったとき、美術館の職員と思われるおばちゃんがばらばらにきざまれたテキストを片づけていたのだがあれはどこまでが作品の範疇だったのだろうか?)が、ハングルが読めないのでよくわからないけれども、《UnemploymentBankruptcyDivorceDebtSuicide Rest Stop》というタイトルは好きで、キャプションに黒塗りしたり、無造作なモノの置きかただったりとグラフィティ的な落書き根性みたいなものもぼちぼちよかった。


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部屋のまえのスペース


こんなペースで書いてたら春になっちまうぞ!
つづく

ズオズオと息巻くる布団のなかでカンピョウのきもち

韓国日記はまた次回、韓国いくまえの話。

近美にひさびさにいった、吉増剛造展以来? 熊谷守一展、めちゃよかった、どうぶつ、やま、うみ、むし、とり、どうぶつの森に時間吸われてるひまがあったらこの展示を観て充実した方がよい、でもつい起動しちゃうんだ、、レベルが45になったよ、熊谷守一、おれは今回の展示で作家自体をしったくちだけれども、素朴だな、とかいってしまいそうになる簡素な描写、ミニマルさ、じつはとってもラディカルだよね、これ、鶏が群れてる絵とか、丸だけの花弁とか、ふだんは買わないポストカードを5枚も買ってしまった、もちろん図録も、ページがやぶれていた、取り替えにいこう、と思ってもう半月が経つ、まあいいかのきもちだ、ポストカードは蟻と豆のやつもあればよかったのにね、、

字がばっちいとこもかわいかったな、仙人的ふーぼーのおじーちゃん、映画もやるみたい、モリのいる場所、豊島区にある熊谷守一美術館もちかいうちにいってみたい


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雪が降っている、さむい、つめたい、たのしいきもち、冬はサイコーだ、家のまえに雪だるまが3体、みしらぬだれかとはしゃぎの共有

スーベニア、スーベニア、

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そう、わたしが韓国にいったのはジョナス・メカスの展示を観るためだ。メカスとの出会いについてはこの記事を読んでもらうことにして、好きなものを10個挙げろといわれたときにかならず口にするであろう名詞が「ジョナス・メカス」、というくらいにはラブがあふれている(そのわりにはべつにくわしくはない)、そんな彼のために初の海外旅行を捧げた。2泊3日の、ひとり旅。旅行記リベンジ編です。


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韓国へ着いて最初に撮った写真、仁川国際空港


初日は夕方17時ぐらいに仁川国際空港についた。この空港、とにかくデカい。機内で入国カードをハングルバージョンしか渡してもらえず、慣れない英語で「これ読めないんで日本語のものはありませんか」とCAにたずねたら空港で書くところがあるからまずは降りなとうながされ、飛行機から降りてひとの流れに沿って歩いていると目の前には駅のホーム。え、まだ荷物受け取ってないけど、大丈夫なんすか、と周りを見渡し、でかいスーツケースをもったひとがいないのでとりあえずそのまま電車に乗り込む。うしろのおばちゃん3人組のハングルの会話を聞きながら、まったく何いっているかわからんとなっている間に到着。ああ、やっぱりまだ空港だ、という具合にはびっぐエアポート。またしばらく歩いてリュックを受け取り、T-moneyカードという日本でいうSuicaのようなものをコンビニで買い、市街地に向かう地下鉄を目指すのだが駅の場所がよくわからない。美術館にはやくいかないと明日以降のスケジュール(といってもこの時点ではまだいきたい場所を羅列しているだけ)がくるっちまうぞ! と焦りつつ何とかたどりつくも改札がふたつ。おれの明日はどっちだ、と駅員のおばちゃんに「安国にいきたい!」とアホ丸出しの英語を話すと「ああ、安国はここで乗り換えてどうしてああして」と答えてくれる。はあはあなるほど、でもそれは地下鉄アプリがあるからしってんねん、改札がどっちなんか教えてくれと「This ride? This train?」と改札を指差しながらこれまたまぬけでどうしようもない単語英会話をおっぱじめると「yesyes」、ありがとうおばちゃん、トランスファーが必要だからな、と念を押してくれるおばちゃん、カムサハムニダ、心のなかでつぶやいた、口からでてきたのはセンキューだった、おれの韓国旅行はこうして幕をあけていったのであった

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孔徳駅でトランスファーしていくよ

つづき